つかこうへいの戯曲を解体して、楽屋落ちを平気でやらかし、つたない演技こそ、自分たちのねらい、とばかり、堂々と押し通していく。スケールの大きい芝居だが、それを重厚なものにしたりする気もない。それに、そんな力量もない。(演出の高松さん、ごめんなさい!わざと意図的に、こんな書き方してます!)では、軽薄に見せていくのか、というとそうではないのだ。作り手の本気がしっかり伝わってくる、そんな作品である。
「沖田総司は女だった!」原作のこの大胆な設定を何よりも大事にしてここから世界を妄想していく。つかこうへいらしい芝居だ。今回の劇団桜版は、戯曲版、小説版、映画版を自由に脚色したものらしい。土方歳三、桂小五郎、そして坂本竜馬という3人の男たちが、彼女を巡って恋のさや当てをする。さらには、幕末の動乱の時代、新国家建設に向けて、時代が大きく動いていく中、人斬り集団新新選組が、100万単位で職を失っていく武士たちの命運をかけて、どう戦いを繰り広げていくのかが描かれていく。
たくさんの人たちを集めて芝居を始めたが、思うように行かない。はたして公演は成功するのか。この芝居はこういう外枠を用意してある。バックステージものの意匠を纏う。『幕末純情伝』は劇中劇として演じられる。だが、バランスが悪く、外枠はただのサブストーリーにしかならない。16人の男女がひしめき合うこの大作は、全編クライマックスの怒濤の勢いでラストまで突っ走っていく。この芝居の中で一体どれだけの人間が切り殺されていっただろうか。数え切れないくらいだ。最初から最後まで斬りあいのシーンの連続である。決して殺陣は上手いわけではない。見ていて単調すぎて少し退屈する。だが、作り手の一生懸命は伝わってくるので、嫌ではない。
ストーリーは単純ではないが、見せ方が単調なので、正直言って作品世界にのめり込めない。全体のめりはりが欲しい。舞台美術は頑張っているが、このセットが必要か、というと何ともいい難い。芝居をどう生かすかが美術のポイントで、空間が作品世界の想像力を押し広げていくものでなくては意味がない。いかにも時代劇しています、というセットでは役者は生きない。障子を使うのなら、その前後で何を見せるのか。彼らの錯綜する気持ちを表現しないのでは意味がない。ラストで舞台一面に血を流すのが、何の感動も呼ばないのでは、努力は報われない。
沖田総司が女だった、というありえない設定が、ここでは何の驚きにもなっていない。その破天荒な現実を通して幕末という時代が、今までの固定観念から解放されて、新鮮なものに見えてこなくてはならない。
原作はつかこうへいなのだから、そのへんは抜かりないはずだ。自虐的な愛の物語をベースにして、しっかり描かれてあったはずのものが、この芝居ではすっぽり抜け落ちている。単なる宝塚まがいではないはずだ。沖田以下新選組をほぼ女たちだけで構成したのはとてもおもしろいのだが、その意図が作品では反映されていない。新選組がアマゾネス軍団だったなら、世界はどうなっていくのか。そういう視点が芝居からは欠落している。
「沖田総司は女だった!」原作のこの大胆な設定を何よりも大事にしてここから世界を妄想していく。つかこうへいらしい芝居だ。今回の劇団桜版は、戯曲版、小説版、映画版を自由に脚色したものらしい。土方歳三、桂小五郎、そして坂本竜馬という3人の男たちが、彼女を巡って恋のさや当てをする。さらには、幕末の動乱の時代、新国家建設に向けて、時代が大きく動いていく中、人斬り集団新新選組が、100万単位で職を失っていく武士たちの命運をかけて、どう戦いを繰り広げていくのかが描かれていく。
たくさんの人たちを集めて芝居を始めたが、思うように行かない。はたして公演は成功するのか。この芝居はこういう外枠を用意してある。バックステージものの意匠を纏う。『幕末純情伝』は劇中劇として演じられる。だが、バランスが悪く、外枠はただのサブストーリーにしかならない。16人の男女がひしめき合うこの大作は、全編クライマックスの怒濤の勢いでラストまで突っ走っていく。この芝居の中で一体どれだけの人間が切り殺されていっただろうか。数え切れないくらいだ。最初から最後まで斬りあいのシーンの連続である。決して殺陣は上手いわけではない。見ていて単調すぎて少し退屈する。だが、作り手の一生懸命は伝わってくるので、嫌ではない。
ストーリーは単純ではないが、見せ方が単調なので、正直言って作品世界にのめり込めない。全体のめりはりが欲しい。舞台美術は頑張っているが、このセットが必要か、というと何ともいい難い。芝居をどう生かすかが美術のポイントで、空間が作品世界の想像力を押し広げていくものでなくては意味がない。いかにも時代劇しています、というセットでは役者は生きない。障子を使うのなら、その前後で何を見せるのか。彼らの錯綜する気持ちを表現しないのでは意味がない。ラストで舞台一面に血を流すのが、何の感動も呼ばないのでは、努力は報われない。
沖田総司が女だった、というありえない設定が、ここでは何の驚きにもなっていない。その破天荒な現実を通して幕末という時代が、今までの固定観念から解放されて、新鮮なものに見えてこなくてはならない。
原作はつかこうへいなのだから、そのへんは抜かりないはずだ。自虐的な愛の物語をベースにして、しっかり描かれてあったはずのものが、この芝居ではすっぽり抜け落ちている。単なる宝塚まがいではないはずだ。沖田以下新選組をほぼ女たちだけで構成したのはとてもおもしろいのだが、その意図が作品では反映されていない。新選組がアマゾネス軍団だったなら、世界はどうなっていくのか。そういう視点が芝居からは欠落している。