第10回公演になる。記念すべき作品のはずなのに、作、演出の山本正典さんはまるでそんなこと気にも留めない。いつもどおりで、そっけない。彼のこの野心のなさと、力の抜け方が、好き。がんばらない、のだ。しかも、それは「がんばらないことを頑張る」という、時たまいるような勘違いではない。彼はきっと何も考えてない。ただ、想いのまま芝居を作っている。それって本能みたいなものか。でも、本能というような大仰なものでもない。
今回はホラー(ちょっとだけ)と、言う。でも、こういうのはホラーとは言わない。もちろんそんなこともちゃんと本人がよく知っている。この世とあの世のはざまにある場所が舞台だ。ここにいる人たちは現世に未練があり、死んでも死にきれない、なんていうよくあるパターンでコトリ会議史上最高に分かりやすい設定になっている。でも、そのぶん反対に設定さえちゃんとしていれば後は何をしてもいいでしょ、と言わんばかりの自由奔放さで、よくわからない芝居になっている。
死んだ男が、そこでひとりの女に出会うところから始まる。おきまりの展開だ。彼は自分が死んだことが信じられない。(これも、よくあるパターン)彼女は実は生きていて、なぜかここに来ることが出来る。死者の取材をしているらしい。なんとも呑気だ。そんな2人のやりとりから始まり、さまざまな訳の分からない死者たちが右往左往する。やがて、彼女の秘密が明らかになる。
なぞとき、ではない。ある状況で自由にお話を語るだけだ。大事なのはその物語ではなく、ある状況、の方で、それって本末転倒であろう。誰の目にもわかる。だが、山本さんはこの本末転倒の図式を丁寧に順守する。そこに、彼女のドラマを埋もれさせるのだ。死んでいる人が生きていて、生きている人が死んでいる、というこれまたよくある図式も援用して、不思議な時間を作り上げる。怖くはないホラーって、失敗じゃん、と言われそうだが、この会話劇は怖くないから反対に怖いというなんだかわからない図式になっている。
まだ、公開初日なので、このくらいにしておく。これが何なのかは、自分の目で確かめてもらいたい。月曜まで。
今回はホラー(ちょっとだけ)と、言う。でも、こういうのはホラーとは言わない。もちろんそんなこともちゃんと本人がよく知っている。この世とあの世のはざまにある場所が舞台だ。ここにいる人たちは現世に未練があり、死んでも死にきれない、なんていうよくあるパターンでコトリ会議史上最高に分かりやすい設定になっている。でも、そのぶん反対に設定さえちゃんとしていれば後は何をしてもいいでしょ、と言わんばかりの自由奔放さで、よくわからない芝居になっている。
死んだ男が、そこでひとりの女に出会うところから始まる。おきまりの展開だ。彼は自分が死んだことが信じられない。(これも、よくあるパターン)彼女は実は生きていて、なぜかここに来ることが出来る。死者の取材をしているらしい。なんとも呑気だ。そんな2人のやりとりから始まり、さまざまな訳の分からない死者たちが右往左往する。やがて、彼女の秘密が明らかになる。
なぞとき、ではない。ある状況で自由にお話を語るだけだ。大事なのはその物語ではなく、ある状況、の方で、それって本末転倒であろう。誰の目にもわかる。だが、山本さんはこの本末転倒の図式を丁寧に順守する。そこに、彼女のドラマを埋もれさせるのだ。死んでいる人が生きていて、生きている人が死んでいる、というこれまたよくある図式も援用して、不思議な時間を作り上げる。怖くはないホラーって、失敗じゃん、と言われそうだが、この会話劇は怖くないから反対に怖いというなんだかわからない図式になっている。
まだ、公開初日なので、このくらいにしておく。これが何なのかは、自分の目で確かめてもらいたい。月曜まで。