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映画・演劇のレビュー

『アルプススタンドのはしの方』

2020-08-14 19:01:19 | 映画

この映画は実は7月23日の公開初日に見たので、あれからもう3週間以上になる。つまらなかったわけではないけど、なんだか書く気にはならなかった。あざといと思った。嘘くさい。城定秀夫監督作品は、ネットフリックスで見た『性の劇薬』に続いてこれで2作目。彼の映画がキネマ旬報で大々的に特集されていて、見たことがなかったので期待したのだけど、この映画はいただけない。出来ることならピンク映画の傑作群を見てみたいけど、なかなかそういう機会もない。『性の劇薬』も僕にはあまり面白い映画ではなかった。過激な内容と、刺激的な展開には驚くけど、それだけ。終盤はしんどかったし。

さて、それなりに話題になっているようなこの映画なのだけど、僕はたった75分が長く感じられた。作品世界が狭すぎる。それは登場人物が(主人公たちが)数人で、彼らが「アルプススタンドのはしの方」からほとんど動かない、からではない。映画はそれなりにはうまくできているけど、お話は全体的にとってつけたようで、なんか嘘っぽく思えたから、乗れなかったのだ。彼らが見る野球の試合は甲子園での1回戦らしいのだが、そんなふうには見えなかつた。地方大会のベスト8くらいの試合(想像だけど)だと思った。それくらいにしょぼい。それくらいでいいのだとは思う。彼らにとって甲子園は特別ではない。動員をかけられたから、仕方なく見に来ただけだから。と、そいういう設定がもっとちゃんと生かされる映画だったら、きっとこれは凄い映画になったのかもしれない。だけど、すべてが中途半端で安っぽい。

ここに描かれるのは、夏の甲子園での戦いという必死さとは縁遠い世界なのだ。彼らはスタジアムの熱狂とは程遠い世界で傍観者として見ている。試合にはまるで興味はない。映画は、そんな彼らの姿を追いかけながら、映画自体も醒めた目で彼らを見る。彼らのほんの1時間ほどの時間をドキュメンタリーのように切り取る。そこから熱狂の周辺にいるどこにでもいるような高校生の現実がリアルに伝わってくると面白いはず、なのだが、そうはならない。

この瞬間は特別な時間ではなく、どうでもいい時間のひとつでしかない。そんな映画を見せられても、僕らは何ら心動かされない。映画はそこに特別な何かを見せることで輝く。たとえそれがありきたりな風景であったとしても、彼らにとっては特別なものであったなら、それを見る僕たち観客も特別なものとなる。それでいいはずなのだ。この映画はたまたまそこに居合わせた4人のそんな時間を描くべきだった。彼ら4人が生き生き描かれてないのが致命的だ。

高校演劇の台本を原作として、それを映画化したものらしい。1時間の台本を映画にするために膨らませる過程で、世界をちゃんと広げることができたならよかったのだけど、それはできてない。たぶん原作のまま映画化したから、嘘くさくなるばかりで、無理のある映画になったのだろう。演劇のリアルと映画のリアルは違う。ぼくはこれでは納得しないし、この映画は買わない。


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