なんだかドキドキさせられる魅力的なタイトルではないか。大阪の僻地の高校が舞台となる青春映画だ。松本穂香主演。ふくだももこ監督作品。一時代を画した「キラキラ青春映画」ではない。内容は似ているけど、確かに同じように高校生の日々を描くけど、少し違う。いや、かなり違う。
「キラキラ青春映画」は少女漫画を原作にして、恋愛を中心に据えたものがほとんどだ。アイドルを中心にしたリアルとは一線を画す作品ばかりだった。しかし、さすがに飽きられた。あまりにたくさん同じような映画が大量生産されすぎたからだ。新鮮な輝きは消えて、徐々に既視感ばかりが目に付くようになり色褪せていく。でも、そこにはある種の真実があったのも事実だ。10代の輝きを確かに描きとる。あこがれや共感が子供たちを惹きつけた。三木孝浩や廣木隆一の映画はその代表だろう。今日から公開されている『思い、思われ、ふり、ふられ』はきっとまだ、その流れにある作品だろう。
表面的には、それらと異口同音に見せかけて、実は全く違う切り口を見せる。この映画の暗さは、高校生の群像劇としては異例のことだ。大阪の郊外、この町随一の一世を風靡した巨大ショッピングモールが閉店する直前の日々を背景にして、6人の男女のドラマが綴られる。彼らが抱えるそれぞれの闇は一歩間違えば、この映画の冒頭で描かれた高校生による父親殺しへとつながりかねない。映画は途中からその犯人を彼らのなかのひとりではないかと感じさせながら、進展していく。
お話自体は決してリアルズムではない。少女漫画にありがちなありえない設定も踏まえて見せる部分も多々ある。しかし、それを嘘くさいと拒絶するのではなく、そんな定番の設定も援用しながら、それをキラキラではなく、暗さとして描こうとする。お話の核にはその暗さがある。その暗さのむこうにある一瞬の光にスポットをあてる。それでも、ここで生きていく。時代の持つ閉塞感。この狭い空間から出ることはない。今はここで生きしかない。
松本穂香以外は全く無名の新人ばかりで固めた(僕が知らないだけかもしれないけど)キャストがいい。彼らは匿名の存在に近い。この世界のかたすみで、確かに生きているしかないどこにでもいる無名の高校生たちのひとり。映画はそんな彼らの孤独や痛みをさらりと切り取る。
夜中のショッピングモールでのパーティは、アメリカ映画で何度か見たことのあるようなシーンの繰り返しで、新鮮ではないけど、あんな夢を彼らが一瞬見ることは、この暗い映画の救いになる。夢物語なんて、ないから、一瞬そんな夢を実現する。しかも、それを大人から許される。この映画に出てくる大人たちはなんだかとても優しい。でも、それは映画の甘さではなく、それくらいに彼らの抱える現実は暗くて辛いということか。
彼らは自分たちの傷口を舐めあうことはない。みんなそれぞれ状況は違うから、共有できるものはない。ただ、彼らは、相手と向き合うことで、自分の現実を乗り越えるための一歩を踏み出す。助けてもらうのではない。でも、助けられる。善意の押し付けではなく、自分のためが、結果的に相手を思うことにもなる。これから彼らは大人になり、世界と向き合うことになるだろう。その時、彼らが過ごしたこの日々は彼らの力となるだろうか。親殺しには至らないけど、それだってあり得る(だって、殺したのは彼らの学校の生徒だ)空間で、同じように生きている。