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映画・演劇のレビュー

SSTプロデュース『たとえば零れたミルクのように』

2014-10-12 09:36:29 | 演劇
 当麻英始さんが描く世界は優しい。彼は自分のそんな世界を正確に作るために、この自分の劇場を作った。これは仮設劇場ではない、ちゃんとした設備の整った、小さいけれども、(そこもまた、当麻さんの願いだ!)素敵な劇場だ。椅子は心地よいソファシートで、30人ほどの観客がどこからでも、ちゃんと舞台のすべてを目撃出来る。芝居全体をまるごと、手のひらで抱え込むことができるのだ。ここは、そんな夢のような劇場なのだ。彼が作った。そんなことをする人は、きっと、他にはどこにもいない。唯一無二の人だ。

 彼の劇場で、彼が作る芝居は、いつも優しい。見終えた後、その小さな幸せを抱きしめて夜の街に帰る。そんな瞬間が素敵だ。だから、ここでは、マチネでは見ない。出来たなら、レイトの上演で見たい。夜の闇に明かりが灯る。長堀橋というロケーションがいい。心斎橋のように華やかではないけど、でも、大阪の街の中心であることには変わりない。その闇に出た後も、まだ、夢心地だ。芝居の続きにように、しばらく歩いてみたい。長堀から堺筋本町まで、フラフラ歩いて見る。銀河鉄道には乗れなかったけど、構わない。ふたりの少女だってそう思っている。

 夜の駅のベンチで、ふたり。静かな場所で語らいあう。もう汽車は行ってしまったけど、静かな闇夜を照らす明かりのもとで、ミルクを飲みながら、お互いのことを話す。身の上話ではない。たわいもない話だ。なんの意味も生まない。だが、話すことで、ふたりは少しずつ、元気になる。

 森野くるみと白亜のふたりが、白い衣装に身を包んで、長いベンチの両端に座る。その距離を縮めない。一瞬の出会いと、別れ。しばらくしたら顔すらも思い出せないかもしれないくらい。そんな関係だ。でも、この心地よい時間が彼女たちを元気にする。何があったか、ではない。確かに、ここにいたこと。それだけ。

 久野那美さんの20年ほど前に書かれた作品を大切に取って置いた当麻さんが、この芝居のために設えたこの劇場で満を持して上演した。まだ、月曜日まで上演している。この芝居を通して、あなたにも最高の心の贅沢をして欲しい。

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