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映画・演劇のレビュー

太陽族『異郷の涙』

2012-02-14 23:11:45 | 演劇
 3都市公演である。東京、福岡、を経て大阪で千秋楽を迎える。劇場も小劇場ではなく、ドーンセンターという中劇場を使う。「日韓演劇フェスティバル」の一環として、上演される企画ものだ。岩崎さんとしては久々にオーソドックスな作品となる。こういうリアリズムの文体で語る歴史の一断面を気負うことなく、正攻法で描く。

 時間軸は1961年。その、とある1日に設定された。場所は大阪の下町。コリアンタウンの小さな旅館。そこに滞在する2人の朝鮮人。ソ連人。そこでのひそやかな時間と、彼らの抱える傷みが、異郷で生きる人々のささやかなスケッチとして綴られていく。大仰なテーマを振りかざさない。だが、ここに描かれるものは、単なる感傷ではない。同じように高度成長期の日本を舞台にした映画『ALWAYS』が描くのはただのノスタルジアでしかなかったが、この作品は、高度成長の影でひっそりと生きる在日朝鮮人一家の姿を通して、時代に翻弄される人間の普遍的な姿を浮き彫りにする。

 だが、ただそれだけでは終わらせない。芝居のラストで橋下市長の姿を国旗と共に見せるのはやりすぎだろう、とも思うが、岩崎さんは敢えてそこに繋げる。作品のバランスなんて考えない。この作品が50年後の今にダイレクトにつながる。これはあの頃の差別の実体を描く作品なのではない。格差社会は目に見えにくい状況の中で、変わることなく今も続く。これは虐げられて切り捨てられる人々がいる、という事実を静かに描くのだ。今、この大阪の町からファシズムが始まる可能性は充分ある。そのことを描くのだ。

 誰が悪くて、誰が正しいとか、そういう問題ではない。時代の空気を丁寧に切り取ることで、ノスタルジアではない、時代の一断面をリアルに再現する。大木金太郎というプロレスラーをドラマの中心に据えて、彼が日本で生きた時代とその背後に広がる時代の空気、そこから庶民の哀歓を描くという人情ものスレスレのドラマを立ち上げ、それを客観的な日常の1ページとしてさりげなく提示する。それ以上のものは前面には見せない。見せないことからこそそこから確かに感じられる。声高にメッセージを伝えるのではなく、抑えたタッチで静かな怒りを描くのだ。



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