この短編映画はわざわざ台湾から監督本人(王承洋)の手によって直接我が家に送られてきたものである。去年うちの嫁さんが台北映画祭で王承洋監督の劇映画『生日願望』を見て、とても気に入り、監督と知り合いになった。その時、自分の夫(僕のことですね)も映画が好きで、彼にも(僕のことですね)監督の作品を見せてあげたいと喋ったようだ。今年は王承洋監督のドキュメンタリー映画『疼惜天地』が台北映画祭で上映されることになり、嫁はそれを見にまた台湾へ行った。そこで、再び王承洋監督に出会い、いろいろ話をしたらしい。そんなわけで、監督から『疼惜天地』のDVDが送られてきた。なんだか凄い話ではないか。うれしくて、すぐ見た。彼女(うちの嫁さんですね)がいうには、「去年の劇映画の方がわたしは好き」ということだが、何の何のこのドキュメンタリーはすばらしい。これだけで彼の才能は充分に伝わる。まぁ、いつものことで、日本語字幕がないから、何を喋っているのかは不明ですがそれでも十分伝わる。
たった27分の作品である。だが、僕はこんなにもドキドキさせられた。これはある初老の男の話だ。彼はゴミ箱をあさってまだ食べられそうなものを集めてくる。それを犬の餌にする。他人の家のゴミ箱を漁るなんてなんだか非常識な話だ。周辺の住民は困っている。彼は棄てられた食材でちゃんと料理を作る。そして近所の野犬たちに振る舞う。そこもなんだかなぁ、と思う。日本ではありえない話だろう。もちろん台湾でも。
ある時は、ドライバーが車の窓から棄てた空き缶やゴミ類を集める。彼が一人でそんなことをしても地球環境を維持することは不可能なのだが、彼はせっせとゴミ拾いをする。自分に出来る範囲で環境破壊を食い止める努力をする。それは無駄な努力でしかない、だろう。だが、気にしない。やらないよりまし。通りすがりの人はなんでもないただの変なオヤジだと思うだろう。周囲の人たちはきっと気になる。それどころか変人としてちょっと気味悪いと思う人もいるはずだ。でも、本人は気にしない。
映画を見ながらこの男をどこまでも追いかけたくなる。だが、すぐに意外な事実が判明する。実は彼は造形作家で、自分の工房で集めてきた廃材を使っていろんな工芸品を作っている。なんとアーチストなのである。そういうことなら、そこまでの彼の行為もまた、ただの変なオヤジの気まぐれではなく、作家の芸術活動の一環だと考えられる。
正直言うとこの後半のネタ晴らしはつまらない。彼には最後までただの変なオヤジでいて欲しかった。なぜ、こんな行為をするのか、不明で、何をして生きているのかさえわからない謎の男でいて欲しかった。まぁ事実なんだから仕方ないけど。
後半、と書いたが、全体は3部構成になっていた気がするのだが、映画を見てからかなりの時間が過ぎているからどこがどう3部なのか、忘れてしまった。見た直後に書けばよかったのだが、忙しくて後回しにしているうちに今日になったのだ。(たぶん犬の話。道路脇のゴミ拾いの話。そして、作家活動の話とでも思ったのか) それならたった30分なので、もう一度見て確かめたらいいのだが、それくらいのこともせずにこの文章を書いている。
ただ言えることは、たった30分程の映画なのに意外な事実にどんどん驚かされて、思いがけない方向に話が展開し、でも端折ることなく悠々たる展開で、ラストまで見せるのだ。それって凄い。ドキュメンタリーなのにドラマみたいに話が流れていき、それを一気に見せきる。そのくせ、せわしなくはない。この尺数に無理がない。普通なら短かすぎて語りたいことが十分には語りきれないまま、消化不良を起こしそうなところなのに、である。この作家はかなりのストーリーテラーだ。だからこの作品の前に作られた彼の劇映画も見てみたい。こういう若い作家が台湾にはたくさんいるらしい。おそるべし王承洋! おそるべし台湾映画!
ラストで高台から町を主人公夫婦が見下ろすシーンがある。なんだかホウ・シャオシェンの映画を見ている気分だ。2人は、この美しい自然を守らなければならない、とか話てるのかも知れないが、そんなことはどうでもいい。そこから見える風景はとても美しい。それだけでいい。
たった27分の作品である。だが、僕はこんなにもドキドキさせられた。これはある初老の男の話だ。彼はゴミ箱をあさってまだ食べられそうなものを集めてくる。それを犬の餌にする。他人の家のゴミ箱を漁るなんてなんだか非常識な話だ。周辺の住民は困っている。彼は棄てられた食材でちゃんと料理を作る。そして近所の野犬たちに振る舞う。そこもなんだかなぁ、と思う。日本ではありえない話だろう。もちろん台湾でも。
ある時は、ドライバーが車の窓から棄てた空き缶やゴミ類を集める。彼が一人でそんなことをしても地球環境を維持することは不可能なのだが、彼はせっせとゴミ拾いをする。自分に出来る範囲で環境破壊を食い止める努力をする。それは無駄な努力でしかない、だろう。だが、気にしない。やらないよりまし。通りすがりの人はなんでもないただの変なオヤジだと思うだろう。周囲の人たちはきっと気になる。それどころか変人としてちょっと気味悪いと思う人もいるはずだ。でも、本人は気にしない。
映画を見ながらこの男をどこまでも追いかけたくなる。だが、すぐに意外な事実が判明する。実は彼は造形作家で、自分の工房で集めてきた廃材を使っていろんな工芸品を作っている。なんとアーチストなのである。そういうことなら、そこまでの彼の行為もまた、ただの変なオヤジの気まぐれではなく、作家の芸術活動の一環だと考えられる。
正直言うとこの後半のネタ晴らしはつまらない。彼には最後までただの変なオヤジでいて欲しかった。なぜ、こんな行為をするのか、不明で、何をして生きているのかさえわからない謎の男でいて欲しかった。まぁ事実なんだから仕方ないけど。
後半、と書いたが、全体は3部構成になっていた気がするのだが、映画を見てからかなりの時間が過ぎているからどこがどう3部なのか、忘れてしまった。見た直後に書けばよかったのだが、忙しくて後回しにしているうちに今日になったのだ。(たぶん犬の話。道路脇のゴミ拾いの話。そして、作家活動の話とでも思ったのか) それならたった30分なので、もう一度見て確かめたらいいのだが、それくらいのこともせずにこの文章を書いている。
ただ言えることは、たった30分程の映画なのに意外な事実にどんどん驚かされて、思いがけない方向に話が展開し、でも端折ることなく悠々たる展開で、ラストまで見せるのだ。それって凄い。ドキュメンタリーなのにドラマみたいに話が流れていき、それを一気に見せきる。そのくせ、せわしなくはない。この尺数に無理がない。普通なら短かすぎて語りたいことが十分には語りきれないまま、消化不良を起こしそうなところなのに、である。この作家はかなりのストーリーテラーだ。だからこの作品の前に作られた彼の劇映画も見てみたい。こういう若い作家が台湾にはたくさんいるらしい。おそるべし王承洋! おそるべし台湾映画!
ラストで高台から町を主人公夫婦が見下ろすシーンがある。なんだかホウ・シャオシェンの映画を見ている気分だ。2人は、この美しい自然を守らなければならない、とか話てるのかも知れないが、そんなことはどうでもいい。そこから見える風景はとても美しい。それだけでいい。