かなりあやういところで芝居作りをしている。それってもうずっと昔から同じで今に始まったことではない。岩橋さんの良さが十二分に発揮された傑作『カーゴカルト』に続く新作である今回の作品は、彼の良さと悪さが両方でた芝居だ。そういう意味で、彼の現地点での到達点を示すものとも言えそうだ。
彼の弱さは演出力のなさ、である。作品世界を強固のものとする作家としての強い意志が作品に漲ってこない。だから、詰めが甘い芝居となる。役者をかなり自由に動かすために統一感の欠落した芝居を作ってしまう。初期の頃からそうだった。それは昨日今日始まったことではない。しかし、その結果、彼の芝居は役者のよさをうまく引き出すことにもなる。自由度の高さが役者たちの思いもかけない可能性を引き出すのだ。彼の演出は芝居にとって両刀の剣であろう。
さて、今回の作品はそのへんのバランスをほんの少し崩している。それは映画作りを題材にしたことも影響しているのだろう。バックステージものは危険だ、という轍を踏んでいる。ミステリ仕立てになっているのだが、その核心部分に向けての求心力が弱いのが最大の弱点だ。ダムの底に沈んだ村。死んでしまった人たちによる終わることのない映画作りというネタの部分がばれてしまったところから畳み掛けるような展開を用意できたなら傑作になったはずだ。惜しい。
タイトルも含めて、前フリはかなりしっかりしている。死んでも、死んでもよみがえってくるダイハードな男を主人公に(映画の中の人物だからそんなことも可能だ、という設定も含めて)彼の再生を最初は笑って見ていたのに徐々に笑いは強張ってきて、そのうちそれが恐怖となっていく。不気味なサイレンの響きがこの終わることのない映画の撮影と連動していくことで見えてくるもの。その先にあるものをどうビジュアル化していくのかが、課題だろう。
主人公のダイハードな男、タナカを演じる今中さんのぼっとしたキャラはとてもいい。彼が夢の中に紛れ込むように映画の撮影現場に入り、取り込まれていく。ただのさえない派遣社員の水道メーター調査員(しかも、明日は首が切られることに決まっていた)が、スカウトされ映画の主人公に抜擢される。ありえないような非日常をぼんやり受け入れて撮影現場にまるで座敷わらしのように紛れ込んでいく導入部が素晴らしい。それだけに全体の統一感のなさが悔やまれる。
彼の弱さは演出力のなさ、である。作品世界を強固のものとする作家としての強い意志が作品に漲ってこない。だから、詰めが甘い芝居となる。役者をかなり自由に動かすために統一感の欠落した芝居を作ってしまう。初期の頃からそうだった。それは昨日今日始まったことではない。しかし、その結果、彼の芝居は役者のよさをうまく引き出すことにもなる。自由度の高さが役者たちの思いもかけない可能性を引き出すのだ。彼の演出は芝居にとって両刀の剣であろう。
さて、今回の作品はそのへんのバランスをほんの少し崩している。それは映画作りを題材にしたことも影響しているのだろう。バックステージものは危険だ、という轍を踏んでいる。ミステリ仕立てになっているのだが、その核心部分に向けての求心力が弱いのが最大の弱点だ。ダムの底に沈んだ村。死んでしまった人たちによる終わることのない映画作りというネタの部分がばれてしまったところから畳み掛けるような展開を用意できたなら傑作になったはずだ。惜しい。
タイトルも含めて、前フリはかなりしっかりしている。死んでも、死んでもよみがえってくるダイハードな男を主人公に(映画の中の人物だからそんなことも可能だ、という設定も含めて)彼の再生を最初は笑って見ていたのに徐々に笑いは強張ってきて、そのうちそれが恐怖となっていく。不気味なサイレンの響きがこの終わることのない映画の撮影と連動していくことで見えてくるもの。その先にあるものをどうビジュアル化していくのかが、課題だろう。
主人公のダイハードな男、タナカを演じる今中さんのぼっとしたキャラはとてもいい。彼が夢の中に紛れ込むように映画の撮影現場に入り、取り込まれていく。ただのさえない派遣社員の水道メーター調査員(しかも、明日は首が切られることに決まっていた)が、スカウトされ映画の主人公に抜擢される。ありえないような非日常をぼんやり受け入れて撮影現場にまるで座敷わらしのように紛れ込んでいく導入部が素晴らしい。それだけに全体の統一感のなさが悔やまれる。