この映画の原作になったのは、落語である。そのオリジナルの落語『粗忽長屋』も大概な話だ。笑わせるけど、もし、それを現実とするなら、ちょっとしたホラーである。この映画はそんなちょっとしたホラーを生真面目にちゃんと丁寧にみせてくれる。月の明かりにだまされてしまう人々の話だ。夢の論理で貫かれる。
これはすべてが夢なのだ、と思うと、わかりやすい。自分の婚約者の顔を忘れてしまう女なんて、ふつういない。しかも、彼女だけでなく、周囲もみんなその男を受け入れる。後で本物が帰ってきても、みんなは最初の男も受け入れたまま。そんなありえない展開も許される。どうせすべて夢なのだから。
落語を忘れた落語家がそれでも高座に出たいと思う。しかし、彼は別人でもともと落語家ではない。2人は戦場で出会って、男は彼の落語を聞くうちに、それを覚えてしまう。行き場のない男は終戦後、その落語家になりすまして、生きる。怪我で顔がぐちゃぐちゃになった。包帯を巻いていて顔が見えない。それでみんなはだまされていた、ということのようだが、それさえ曖昧だ。大体、板尾創路と浅野忠信では、まるで顔が違う。いくら傷だらけでも見間違うはずはない。
ラストのマシンガンの乱射シーンは強烈だ。それを寄席にやってきたお客は笑顔で受け止める。まるでとてもよく出来た落語に反応するように。ここでは、すべてが、夢の論理に貫かれているから、それもありなのだ。最初はそんな世界観にとまどうが、だんだん、それが心地よくなってくる。そういう意味では、これはとてもよく出来ている、ということなのだろう。終始無表情で一切しゃべらない板尾創路と浅野忠信が、最後にはなんだか一心同体に見えてくるから不思議だ。
これはすべてが夢なのだ、と思うと、わかりやすい。自分の婚約者の顔を忘れてしまう女なんて、ふつういない。しかも、彼女だけでなく、周囲もみんなその男を受け入れる。後で本物が帰ってきても、みんなは最初の男も受け入れたまま。そんなありえない展開も許される。どうせすべて夢なのだから。
落語を忘れた落語家がそれでも高座に出たいと思う。しかし、彼は別人でもともと落語家ではない。2人は戦場で出会って、男は彼の落語を聞くうちに、それを覚えてしまう。行き場のない男は終戦後、その落語家になりすまして、生きる。怪我で顔がぐちゃぐちゃになった。包帯を巻いていて顔が見えない。それでみんなはだまされていた、ということのようだが、それさえ曖昧だ。大体、板尾創路と浅野忠信では、まるで顔が違う。いくら傷だらけでも見間違うはずはない。
ラストのマシンガンの乱射シーンは強烈だ。それを寄席にやってきたお客は笑顔で受け止める。まるでとてもよく出来た落語に反応するように。ここでは、すべてが、夢の論理に貫かれているから、それもありなのだ。最初はそんな世界観にとまどうが、だんだん、それが心地よくなってくる。そういう意味では、これはとてもよく出来ている、ということなのだろう。終始無表情で一切しゃべらない板尾創路と浅野忠信が、最後にはなんだか一心同体に見えてくるから不思議だ。