習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『Red』

2020-02-23 16:20:08 | 映画

三島由紀子監督作品。脚本が池田千尋監督との連名になっている。ふたりが共同して苦しみながらこの稀有なヒロインを造形したのだろう。よくぞここまで追い詰めた。震える。島本理生の小説の映画化である。これは女性だからこそ作れた映画だろう。

夏帆演じるヒロインの気持ちがとても丁寧に描かれてある。だがこれはとても厳しい映画だ。幸せになるために結婚した。自分さえ我慢したならこの幸せは維持できると思った。でも、我慢するというところからして、もうそれは本当の幸せとは違う。優しい夫は悪い男ではない。だが、彼の上から目線や、母親への甘えは耐え難い。義母も悪い人ではない。だけど、夫と同じ。鼻に付く。6歳の娘はかわいい。でも、それだけでは満たされない。この幸福は心からの満足には程遠い。でも、そんなのはあなたの甘えだ、と言われるかもしれない。何不自由なく暮らせている。いや、とんでもなく裕福なくらいだ。専業主婦として、人が見たなら羨ましがられるだろう境遇の生活だ。大きな家に住み、経済的も恵まれている。生活は豊かで安泰だ。でもこれは違う。

ある日、10年前に付き合っていた恋人(妻夫木聡)と再会する。交際が再開する、というよくある展開だ。だが、この映画はそんなつまらない不倫物の恋愛映画ではない。このふたりは、抱えるものは同じで、それは人を愛せないという心情だ。彼らは似ている。自分しか愛せないというところだ。でも、それはわがままではない。人を受け入れられない。自分の殻に閉じこもる。受け入れようと努力はしている。でも、それって努力してすることではない。愛したなら相手を大事に思うし、受け止めたいはずだ。でも、それができないのは何かが欠落しているからだ。

彼らは一緒にいるという選択をしながらそれを幸福なことだとは感じていない。ふたりの道行きは死につながる。真っ暗な夜、雪に閉ざされた中、車を走らせる。東京に帰るため、子供のところに戻るためなのだが、そんなふうにはまるで見えないし、彼らもそうは思っていない。心中するための道行きでしかない。でも、それは狂おしいような愛ゆえではない。ふたりでいるのに孤独だ。10年前ふたりが別れた理由もそこにあったはず。なのに、今再び恋心が再燃したのは、破滅に向かうためとしか、思えない。彼女はともかく、彼はガンで余命いくばくもないという状況を抱えて、残された時間を自分らしく生きたいと思っているはず。だが、ふたりはお互いに支えあうというわけではなく、どこまでいってもひとりでしかない、ということを知りすぎている。なのに、一緒にいるという選択をした。それは弱さでしかない。でも、そんな単純な図式で解決しきれないものがここにはある。彼らは自分の気持ちに対して正直なのかもしれない。でも、それは違う。

三島監督は彼女のなかにある矛盾も含めてすべてを受け止める。それでいいとは言わないけど、この自分の抱える現実を受け止めて、自分を罰するしかないし、自分を愛するしかない。幼い娘を拒絶する姿は、他人からは悪魔にも見えるかもしれない。でも、それが自分に対する誠実な行為なのかもしれない。こんなにも自分を追い詰めるしかないのか、と思うと怖くなる。

母親から自分を偽って生きててそれでいいのか、と問い詰められるシーン(母親役の余貴美子はこのシーンだけのワンポイントリリーフ)がさりげなく挿入されるがそれがすべてだろう。もちろん、そんなこと彼女自身が充分わかっている。

これはとんでもなく怖い映画だ。人間をここまで追い詰める映画はそうそうないだろう。

 


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