今回のジャブ・ジャブは客演が多い。初めて見る人が(しかも、大量に)芝居の中心を担うから、なんだか不思議な感じだ。でも、芝居はいつもの「はせワールド」全開で、楽しい。
こちらの時間とあちらの時間がそれぞれ流れていき、両者が交信したり、重なったり、一緒にもなるし、現実の出来事でもあり、夢の中のようでもある。まずこれはひきこもる劇作家の妄想だ、なんて言いきったらつまらないし、そんな枠では括れないから面白い。というか、括るという行為がつまらない。よくわからないことが目の前で展開し、それをただ呆気に取られたり、取られなかったりしながら、見守る。すると、そこに流れる心地よい時間にほだされる。なんだか気持ちいいからなんでもいいよ、と思える。もちろん、そんなむちゃくちゃなことではない。
ベースになるのは、ほんの少し先の未来が見えてしまう人たちの憂鬱。そのことが、超能力としてもてはやされるのではない。なんだか、面倒なことだな、と思っているから、普段はあまり気にしない。でも、見えてしまうのだから気にせずにはいられないし。そんなこんなでお話は、まるで壮大な話にはならないけど、そこがいいのだ。劇作家は締め切りまでに新作を書かなくてはならない。彼はひきこもりなので演出はしない。演出家の女の子は彼の家にやってきて居間でくつろぐ。彼女だけではなく、ほかのメンバーも来る。彼のお母さんは彼らの世話を焼くのが楽しみだったりもする。だが、彼自身は自分の部屋から出てこない。彼は別時空にいる牢獄に閉じ込めた男(これは、いつものメンバーである、はしぐちしん!)と交信する。遠く離れた2人を中心にして彼らと、彼らの周囲の人たちの生活の断片が綴られる。
この芝居が目指すものは、何なのか、とか、そんなこともあまり考えなくてもよい。(もちろん考えてもいいだろうし、普通は考えるものだ! でもこの芝居は理屈じゃないから) みんなが同じ場所に居て、しゃべったり、しゃべらなかったり。暗闇の中で、お互いを感じる瞬間の幸福。そこに誰かがいて、声をかけるとちゃんと届く。それがどれほど大事なことかを噛みしめる。別次元の人たちが一斉に顔をそろえる瞬間の奇跡。その瞬間、自分たちは確かにつながっていると思えれる。それだけでいい。
こちらの時間とあちらの時間がそれぞれ流れていき、両者が交信したり、重なったり、一緒にもなるし、現実の出来事でもあり、夢の中のようでもある。まずこれはひきこもる劇作家の妄想だ、なんて言いきったらつまらないし、そんな枠では括れないから面白い。というか、括るという行為がつまらない。よくわからないことが目の前で展開し、それをただ呆気に取られたり、取られなかったりしながら、見守る。すると、そこに流れる心地よい時間にほだされる。なんだか気持ちいいからなんでもいいよ、と思える。もちろん、そんなむちゃくちゃなことではない。
ベースになるのは、ほんの少し先の未来が見えてしまう人たちの憂鬱。そのことが、超能力としてもてはやされるのではない。なんだか、面倒なことだな、と思っているから、普段はあまり気にしない。でも、見えてしまうのだから気にせずにはいられないし。そんなこんなでお話は、まるで壮大な話にはならないけど、そこがいいのだ。劇作家は締め切りまでに新作を書かなくてはならない。彼はひきこもりなので演出はしない。演出家の女の子は彼の家にやってきて居間でくつろぐ。彼女だけではなく、ほかのメンバーも来る。彼のお母さんは彼らの世話を焼くのが楽しみだったりもする。だが、彼自身は自分の部屋から出てこない。彼は別時空にいる牢獄に閉じ込めた男(これは、いつものメンバーである、はしぐちしん!)と交信する。遠く離れた2人を中心にして彼らと、彼らの周囲の人たちの生活の断片が綴られる。
この芝居が目指すものは、何なのか、とか、そんなこともあまり考えなくてもよい。(もちろん考えてもいいだろうし、普通は考えるものだ! でもこの芝居は理屈じゃないから) みんなが同じ場所に居て、しゃべったり、しゃべらなかったり。暗闇の中で、お互いを感じる瞬間の幸福。そこに誰かがいて、声をかけるとちゃんと届く。それがどれほど大事なことかを噛みしめる。別次元の人たちが一斉に顔をそろえる瞬間の奇跡。その瞬間、自分たちは確かにつながっていると思えれる。それだけでいい。