「ザ・新劇」とでも言いたくなるような作品だ。2時間半の大作である。1934年(昭和9年)の作品だ。そんな古典を今上演する意味がどこにあるのか、よくわからないけど、演出の熊本さんがどうしても上演したいとこだわり、劇団もそれを受け入れたから今回の上演が可能になった。なぜ、この作品なのか。今の時代にこれが訴えかけるものって何なのか。見ながら、一番気になったのはその一点だ。正直言うとよくわからなかった。
作品自体は力作である。まずあのセットに驚く。もちろん劇団大阪だから、とことん作り込んだ舞台美術はいつものことなのだが、細部まで本当に丁寧な仕事がなされている。本物の鶏までいて、それが違和感ない。この重厚な舞台空間で、役者たちも自分たちの持ち味を生かして、熱演を繰り広げる。こういう作品を見ることがなくなった。それだけでもとても新鮮だった。
だが、やはり気になるのは、なぜ今この作品なのか、ということだ。人間の愚かさ、醜さ、弱さがここまで露骨に描かれることに対して、それはそれで凄いとは思う。自分の帰るべき場所を持ちたいという願望や、それを失うことの恐怖。2人の女を中心にして、さらには彼女たちを取り巻く人たちの姿を通して、当時の田舎の旧家を巡るさまざまな事情が描かれるのだが、それがどこに通じるのか、見えない。
話はこの芝居の中だけで完結している気がした。せめておかじとおとりの激しい対決だけでも、もっとスリリングに描かれたなら、ドキドキしたのかもしれないが、それもない。
作品自体は力作である。まずあのセットに驚く。もちろん劇団大阪だから、とことん作り込んだ舞台美術はいつものことなのだが、細部まで本当に丁寧な仕事がなされている。本物の鶏までいて、それが違和感ない。この重厚な舞台空間で、役者たちも自分たちの持ち味を生かして、熱演を繰り広げる。こういう作品を見ることがなくなった。それだけでもとても新鮮だった。
だが、やはり気になるのは、なぜ今この作品なのか、ということだ。人間の愚かさ、醜さ、弱さがここまで露骨に描かれることに対して、それはそれで凄いとは思う。自分の帰るべき場所を持ちたいという願望や、それを失うことの恐怖。2人の女を中心にして、さらには彼女たちを取り巻く人たちの姿を通して、当時の田舎の旧家を巡るさまざまな事情が描かれるのだが、それがどこに通じるのか、見えない。
話はこの芝居の中だけで完結している気がした。せめておかじとおとりの激しい対決だけでも、もっとスリリングに描かれたなら、ドキドキしたのかもしれないが、それもない。