ふだんはほとんどマンガを読まないのだが、たまたまこの作品の原作は読んでいた。こんな題材を扱うのか、と感心した記憶がある。それだけに今回の映画化は感慨深い。これがまさか映画になるのか、という思いもある。しかも芦田愛菜と宮本信子主演である。マンガも映画も最近渋い作品が出回っている。これはなんだろ、と思うような企画が通る。それくらいに人々の関心の範囲が広がっているということなのだろう。楽しい。
さて、今回の映画である。これは果たして映画になるのか、と不安だったのに、不安は微妙なラインで払拭された。これが完璧で素晴らしいというわけではない。最初は「大丈夫か、これ、」と思ったのだが、あやういラインで持ち直した。芦田愛菜の芝居がいつものような安定した芝居ではないのがよかったのだ。上手い子役から完全に脱皮して、なんと今回は危うい演技で勝負している。わざと下手な芝居をするとかいうのではない。そんなバカはないし。そうではなく、頑なな少女の硬質な危うさを綱渡りで見せるのだ。自分に対して自信がない。でも、その弱さを人に見せたくはないし、知られるなんて絶対嫌だ。そんな思いを表現する。媚びないし、阿らない。だから危うい。誰に対しても心を開かない。優しい人たちに助けられて、でも、その人たちを信じきれない。裏切られるのが怖いからかもしれないが、そんなことを認めたくもない。とてもめんどくさい女の子なのだ。
高校2年の夏前からスタートして3年の時間になる1年ちょっとのお話。受験を控え、自分が何をしたいのかをはっきりさせなくてはならない時期なのに、何をしたいのか自分でもわからない。進路に揺れるなんていう設定のお話なら山盛りある。だが、この映画の彼女は、そこでマンガを描くといういきなりの展開を選ぶ。それまで考えもしなかったことだ。もちろんマンガは好き。でも、読むのが好きというだけで自分で書こうなんて思わないし、プロのマンガ家を目指すなんて夢にも思わない。でも、おばあさんに進められて自作を描き、コミケに出店することにする。それはとんでもない大胆な冒険だった。しかも、受験を控えた時期なのに。だけど、今これをしなくては先に進めない。
と、ここまでのストーリーのその先は成功して自信を持つ、とかいう展開が定番だろう。だが、この映画は見事そこを裏切る。もどかしいほど、愚かな行動に出る。見ていて歯がゆい。だけど、そんな彼女の怯える気持ちもわかる。メタモルフォーゼできるのなら、うれしい。でも、それは簡単なことではない。彼女がこの縁側で手にしたもの。その幸福な時間は何だったのか。古い家の気持ちのいい縁側に座ってお茶を飲みながら過ごす語らいの時間。大好きなBLマンガのことを話す。分かり合える人がいる。17歳の女の子と70代の女の子。いくつになっても心は少女のまま。だから分かり合える。
嘘くさくないのがいい。主役のふたりが素晴らしいから、嘘がないのだ。宮本信子は伊丹十三映画以外で主役を演じたのは初めてではないか。彼女が気負うことなく表面的には受けの芝居に徹しながらも、実はちゃんとダブル主演の立ち位置にいる。そこには無理がない。それはこれがちゃんとふたりの友情物語になっているからなのだ。岡田惠和が脚本を手がけ、(かなりがっかりだった)『青くて痛くて脆い』の狩山俊輔が監督、という布陣には正直言うと期待できなかった。だから不安な気持ちで見始めたのだが、それがこんなふうにその危うさを武器にする映画になるだなんて、映画は見るまでわからない。