たまたまなんだけれど、ドイツ軍の兵隊から言い逃れするために、「読書会をしてました」と言ったことがきっかけで、始まった。1941年、ドイツ占領下、イギリスのガーンジー島(どこにあるんだろうか?)。夜の外出は禁止されているのにもかかわらず隠れてお酒を飲んで美味しいものを食べる会をしていた。その帰りにドイツ兵に捕まったのだ。
生きるために必要なもの。抑圧され自由を奪われた日々の中で、生きのびるために、美味しい物を食べること、本を読むこと。この映画はそこから始まる。5年後、戦争が終わった後も、読書会は続いていた。そこにひとりの女性がやってくる。ここでの小さな読書会に興味を抱いて所在を兼ねてこの島に来た。作家である彼女は読書会の記事を書こうと思ったのだが、そこにはなんだかとんでもない秘密が隠されていた。
僕が興味を惹かれたのは、冒頭の読書が人を生かす、という部分だ。本の持つ力を改めて思い出させる。現実逃避でしかないかもしれない。だが、戦時下の過酷な時間を、本を通して生きのびた、とすると、それはなんだか凄いことではないか、と思う。書物の持つ力をきれいごととしてではなく、なんだかとても美しい事実としてこの映画はさりげなく見せる。魅せる。
映画は本題に入ると、ひとりの読書会のメンバーがいなくなったことを巡るお話へと進展していくのだが、そこはあまり大事ではない。彼女がなぜ、ドイツ兵に捕らえられたか、今どこにいるか、それをこの島にやってきた主人公が彼女の謎を解明していくというミステリ的な要素よりも、ここで何を感じ、これからどう生きていこうとするのか、のほうが気になる。作家である彼女が本を書くことの意味、何を届けるか、ということをこの読書会(と、そのメンバ-の姿)を通して感じていく。そこにこそ、この映画の主眼がある。自分らしい自分ってどんな自分だろうか。物語を書くってどういうことか。そして、物語を読み、そこで得た想いを語るってどういうことか。そんな(なんて当たり前の)ことをこの映画は教えてくれる。だからこれは、なんだか、とても大事な話をちゃんと伝えてくれる映画なのだ。