久しぶりに見たコトリ会議はやっぱりとてもよかった。へんな宇宙人の兄妹(とうぜん、こういう役は若旦那家康が演じる)が出てきたり、もちろん、牛嶋千佳さんが演じる「野お母さん」(なんだ?この名前は!)は、もっとへんで、不気味。
芝居の舞台となる竹藪の中を彷徨う人たちは、みんな死のうとしているけど、なぜ、死のうとしているのか、よくわからない。でも、人は必ずしもそれぞれちゃんとした理由があって死ぬわけではないから、これでいいかぁ、とも思うけど、なんかへん。まぁ、人の気持ちなんてわからなくていい。だいたい人は、他人にそんな微妙な想い(死のうとする理由、ね)をわざわざ説明しない。お芝居だからといって、観客に登場人物たちが自分の内面を告白するとか、思うなよな、と思う。あ、それって、僕ではない、山本さんが言ってるんですよ、(たぶん)
夜の竹藪の中なので、芝居の中で、照明のあかりはほとんどなく、暗いシーンばかりだ。そんな中で、二,三人によるお話がぽつぽつと語られていく。宇宙人がなぜ、地球に来たのか、なんて決まっている。自分たちの星では住めなくなって、移住先を探して、ここに来た。じゃぁ、自殺しにきた人たちは? もちろん、現実世界が生きるのに、苦しいからって、ことか。じゃぁ、宇宙人と同じ理由だ。でも、宇宙人は生きようとするけど、彼らは死のうとする。ってことは、生きることと死ぬこととは同じようなものなのか?
そんなこんなを考えながらなんとなく(ぼんやり)舞台を見ている。いろんなことがへんなことだらけで、でも、それが何だか自然に伝わる。
味噌汁の中のハンバーグを食べる男は、食べる度に悲鳴を上げる。痛いからだ。ハンバーグのミンチは自分の体の一部なのだ。自分で自分の肉を食べる。野お母さんが作る味噌汁だ。竹の音は死を象徴しているのだけど、(誰かが死んだ、ということ)それがカッコンという気持ちのいい響きで、でも、それが生と死を分かつ。宇宙人の兄が自分ではしゃべらないとか、そんなこんなのひとつひとつに深い意味はなさそうなのだけど、なんか心に残ってくるには、きっと僕にはわからないだけで、ちゃんとした意味があるのだろう。でも、気にはならない。この不思議な生と死のあわいの旅を満喫する。