習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『おだやかな日常』

2014-12-12 22:24:02 | 映画
これは3・11の当日から、数日間のお話だ。あの時、思ったこと、感じたもの。それを二組の夫婦を通して描く。2012年作品ということに驚く。冷静に状況を踏まえて描くのではない。リアルタイムの先の見えない状況こそ、描くべきものと見据え、今ある真実を提示することを目的にした。

東京のかたすみ。何の変哲のないアパート。隣り合わせた2室、そこで暮らす家族。あの日の不安と人々のパニック。直接大きな被害を受けた東北からではなく、その余波を受けた東京でのできごと。

その日、職場から歩いて帰ってきた夫とは、不安におののく、妻と娘を置き去りにして、家を出ていく。その瞬間、家族のことではなく、妻以外の今つきあう彼女の姿が浮かんだから、と言う。ありえない。夫の不在。行く先への不安。今ある状況自体がわからない。幼い娘を守りたい。そんな中、放射能汚染への不安が彼女を壊していく。

彼女の物語と同時進行で隣家の夫婦のその日からのお話が描かれる。もうここでは暮らせないかもしれない。東京を離れて関西に逃れたい。だが、そんなことは難しい。夫の会社に転勤願いを出して欲しいと思う。でも、今のこのタイミングでは難しい。

少しずつ、この2つの物語とリンクしていく。そして終盤、ようやく彼女たちの別々のふたつの話はガス自殺によって、交錯する。

表面的には、彼女たちを通して描く「政府の曖昧な発表や風評被害などを描く震災時の様子をとらえたドキュメント」のようだが、もちろん、そこには留まらない。

これはまず、どこにでもある家族の物語なのだ。それをピンポイントで見せる。誰もが感じたこと、考えたこと、行ったことを見せる。彼女たちの不安は、あの日を経験したすべての人たちにつながっていく。特別なことは描かないことが、結果的にこの話を、ある種のパターンに陥らせてしまうけど、気にしない。類型的な人物像でいい。これはあの日のあなたの物語をトレースしながら、見ればいい。特別なことは、ここではなく、あなたの中にある。

あの日から数週間の気分。やがて落ち着いて日常が戻ってくるまでのドラマ。しかし、その「おだやかな日常」は、もう以前のように安心して受け入れることはできない。すべては変わってしまったからだ。しかし、みんなすぐに忘れてしまう。いつもの生活に埋もれていく。そうじゃなくては生きていけないからだ。何もなかったかのように、平和に暮らす。震災は終わった。福島も過ぎたことだ。そんなはずはないことなんて、子供にだってわかる。でも、今は、気にも留めない顔をしておだやかに生きていくしかない。

それでも生きなくちゃ、というラストシーンには真実はない。とりあえず、そう思うことにしただけだ。だまされるのではない。映画を終わらせるためでもない。生きていくための演技でしかない。悲しいけどそれでいい。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『想いのこし』 | トップ | 『西遊記 はじまりのはじまり』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。