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映画・演劇のレビュー

『STAND BY ME ドラえもん』

2014-08-10 10:02:17 | 映画
 この夏休み一番の期待作をさっそく見に行ってきた。家族連れから、カップル、大人から子供までで満員の劇場で見る。この映画にはそういう環境こそがふさわしい。みんなで、笑って、泣けたならいい。山崎貴監督が八木竜一監督とコンビを組んで放つ第2作だ。

 国民的マンガの映画化である。というか、もうなんの解説もいらない。ドラえもんの3D、CGによる映画。毎年春休みに映画になってくるレギュラーではなく、初めての、もちろん誰も見たことのない『ドラえもん』のリアル映画だ。のび太とドラちゃんが出逢うところから、2人の別れまでを描く大河ドラマなのだが、それをちゃんと日常をベースにした作品として仕立てる。ここには従来の『映画 ドラえもん』の描く大冒険は一切ない。なのに、退屈させないのは、誰もが知っているドラえもんを追体験することで、改めてドラえもんってなんだったのかを再確認する映画に仕上がったからだ。そういうアプローチがこの新鮮な映画の出現を可能にした。

 ただ、その単調さに乗り切れなかったなら、これは退屈な映画でしかないかもしれない。大きなお話は一切なく、驚きもない。のび太としずかちゃんが無事結婚できるのか、ということを巡るドキドキも残念ながらない。駆け足でストーリーをなぞっただけ、と感じる人もいるはずだ。だが、ここに必要なのは驚きではない。当たり前の毎日の積み重ねだ。だが、そこにはいつもドラえもんがいる。ただそれだけで、のび太は幸せだったことに気づく。

 ともだちがいる。彼は何があっても自分を裏切らない。これはそんな夢のようなお話なのだ。だが、いつか、彼は去っていく。永遠にはいられない。永遠に続くドラえもんのアニメのようには、この映画のドラえもんはずっとそこにはいない。いつか大人になる。この映画は大人になるためのステップとして綴られる。

 だから、ドラえもんを失うと知ったのび太が初めて本気でジャイアンとケンカしてボロボロになる姿を描くシーンがクライマックスになる。こんなに激しい戦いを今までの『ドラえもん』が描いたことはない。

 ここからは余談だが、自分が大人になった世界を、子供ののび太が旅するシーン(結婚前夜に行く)について書く。

 ここで描かれる未来都市が、あまりの「未来」で驚く。だって、にび太たちの少年時代って、1960年代ではないか? ということは、あの未来って、70年代の日本なのではないのか。あれはない、と誰もが知っている。でも、誰もそういうところに突っ込み入れないことになっている。なぜなら、あれは60年代の子供たちが見た夢の70年代だからだ。エキスポ70万博の世界で描かれたような未来でいいのだ。21世紀を生きる僕たちは、今もまだ、60年代のままの、ドラえもんを夢見る。

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