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映画・演劇のレビュー

『ブレードランナー 2049』

2017-10-30 19:58:26 | 映画

 

35年の歳月を経て、続編である。82年、なんの予備知識もなく、リドリー・スコット『ブレードランナー』を試写会で見た。とてもいい映画だ、と思った。ハードボイルド・タッチのSF映画なんて誰も思いつかない。新鮮だった。静かな映画で、お話自体は単純で、当時は、のちにこれが映画史に残るレジェンドとして認知される映画になろうとは、思いもしなかった。公開時、2回見て、その後もいろんなヴァージョンが公開された。その都度、見た。見れば見るほど味の出てくる映画なのだ。ハリソン・フォードの代表作になった。『スターウォーズ』ではなく、『インディー・ジョーンズ』シリーズでもなく、さらにはたくさんあるシリアスな映画でもなく、これである。それくらいにこの映画は、彼の存在を印象付けた。

 

今回、続編の監督をリドリー・スコットは引き受けなかった。事情はいろいろあるだろうけど、そこを詮索する気はない。そんなことよりそれを想像するほうが楽しいからだ。『エイリアン』の続編は引き受けたのに、これはやらないのには、理由がある。これは彼の中で既にあの1本で完結しているからだ。では、この続編に意味はあるのか、というと、ある、と答えたい。時代がもう一度、要請したからだ。あの映画の続きをハリソン・フォードで見たい、と。年齢的にも主人公は不可能だが、ゲストとして『スターウォーズ』の続編に登板した時とはまるで違うスタンスで挑んでみる、ことは可能だし、それを望まれた。

 

彼はお話の終盤に満を持して登場する。今回の主役はライアン・ゴズリング演じる新種のレプリカントのブレードランナーだ。彼が自分のアイデンティティを探し求めるお話。その終着駅にハリソン・フォード演じる男がいる。消息不明になっていたデッカードが自分の父親ではないか、と疑う。映画は、前作の最後を受けて、人間とレプリカントとの間に生まれた生命の存在を追う。これは「命」のお話だ。レプリカントはロボットなのに、(いや、それだからこそ)人間より早く死ぬように作られている。そんな彼らが自分たちは何のために生まれてきたのか、と悩み考える。前作のルドガー・ハウアー演じたレプリカントの孤独は際立っていた。

 

今回、映画はなんと2時間43分に仕上がった。ハリウッドの娯楽映画としてはありえない上映時間になる。ディレクターズカットがそのまま採用されたのだろう。前作で編集権の問題で苦しんだリドリーが今回は製作総指揮に回ったから可能になったのだろう。『メッセージ』に続いて連投でこのSF大作に挑んだドゥニ・ヴィルヌーブは、前作へのオマージュなんていう生易しいものではなく、あの世界観を引き継ぐ30年後の世界を描くために全力を注ぐ。この映画がすごいのはそこだ。ストーリーではなく、背景となる世界を作りこむことに腐心した。ここはあの『ブレードランナー』の30年後の世界、という一点だけで映画が作られる。『2049』というタイトルの重さに耐えなくてはならないのだ。そうすると、当たり前の話となるが、あの前作は『2019』ということなのだ。今から2年後の世界である。ありえない。だが、そんなパラレルワールドが出来てしまったのが現実なのだ。そこを受け止めたうえでの、この映画なのである。これはそんなふうに何十にも手枷足枷が懸けられた困難な映画なのである。ドゥニ・ヴィルヌーブはそれを承知で引き受けた。

 

映画は信じられないくらいに淡々としたタッチで丁寧に、順を追って語られていく。だから、なかなかデッカードまでたどり着かない。名前のない捜査官K(もちろん主役のライアン・ゴズリング)が名前を与えられたとき、ようやくたどりつく。だが、ハリソン・フォードには30年前の颯爽とした面影はない。

 

まるで若かりし日のコッポラの『地獄の黙示録』を思わせる映画だ。この神話的な物語はハリソン・フォードの顔を捉えたシーンで幕を閉じる。(もちろん、そこで「ホラー」とは言わさないけど)今年一番の重要な映画だろう。これも前作と同じように何度も見る価値がある。

 


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