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映画・演劇のレビュー

劇団息吹『シャッター通り商店街』

2011-10-31 22:59:41 | 演劇
 シャッター通りと化した商店街の活性化を目指して立ち上がる商店主たちを描く人情劇。こういうコメディーはいかにも高橋正圀らしい話なのだが、あまりに甘すぎて、そんな簡単にはいかないだろ、と思ってしまう。ファンタジーとして描くにはこの設定はあまりにリアルで、中途半端なハッピーエンドはただの嘘でしかない。かなり微妙なところでなんとか納得がいくラインを設定して終わらせてあるが、かなり苦しい。

 いくら頑張っても世の中の流れには逆らえないし、たとえここで上手くいっても、その方法がすべてにおいて通用するわけではない。これはもう負けいくさなのだ。もう小売店は息も絶え絶えで生き残る術はない。ただこのまま静かに死んでいくしかないのか。彼らはなんとかして、大型ショッピングモールに対抗しようとする。そのための方法は地域との一体感、それしかない。地域密着で一緒に町作りをしていくこと。だが、それって、もともと商店街が本来やってきたことで、そんなふうにして成り立っていたのだから、ただの原点帰りでしかない。現実はそのやりかたが不可能になったから寂れているのである。

 この作品は商店街の中にある喫茶すずらんを中心にして、そこに集まってくるこの商店街の面々とのやりとりの中から、彼らが生き残る術を模索していく姿が描かれる。高橋正圀は、山田洋次のもとで作ってきたドラマのパターンをここでも踏襲している。彼は人間の優しさを信じる。その中に必ず未来がある、という幾分楽天的な考え方だ。しかし、それくらいしか、この現状で言えることはない。気休めでしかないことは重々承知している。

 この喫茶店もいつまで続けられるか、わからない。近隣の小学校も巻き込んで、地域ぐるみの連帯から活性化につなげる。若い力をシャッター通りに導入してきて、彼らのアイディアを組み込み、ここに新しいコミューンを作る。そんな夢のような試みに向けての第1歩を描く。

 主人公の喫茶店のマスターを演じた岩崎徹さんがとてもかっこよくてよかった、と思う。彼が貧相な男ではこの芝居は成り立たない。負けいくさでしかないかもしれないが、彼らの挑戦がただの受け身のものにならないためにも、話の中心にいる彼はしゃんとしていなければならない。芝居の中では目立つことなく狂言回しでしかない役回りなのだが、彼がしゃしゃり出ることなく、静かにここにいる。それだけで、芝居全体が引き締まる。この人物を訳知り顔のおせっかいにしたなら、つまらない。

 彼の2人の息子たちは『男はつらいよ』における寅さんの役回りだ。あの役を兄がキャラクター面で、弟はストーリー面で演じ分ける。彼らの存在は、放浪の旅からフラリと柴又に帰ってきた寅さんが、みんなを掻き回して、また、去るというあのパターンのバリエーションとなっている。インドから帰ってきた弟。みんなから胡散臭がられる兄。やがて、弟はここでカレー屋を開き、結婚してこの町の再生を目指す。兄は役所務めをしながら、芝居を続け、何の役にも立たないが、みんなを精神面で支える。

 実質的には主役であるはずの2人のおばさんたちがバイプレイヤーの位置に甘んずるのは、台本の構成ミスだろう。この2人が商店街活性化の立て役者なのだから、彼女たちの視点からドラマ全体が書き起こされてもよかったはずだ。なのに、そうはなってない。群像劇でも視点となる人物はいる。それは岩崎さん演じたマスターではない。茜さんと緑さんというパワフルな2人組のはずなのだ。

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