沖縄から始まる。ひとりの女性の生涯を描くのだが、確かにこれはこれで大河ドラマである。だけど、よくある女の一代記ではない。まるで昔話でも語るようなタッチだ。過酷なお話なのに、なんだかほのぼのしている。
まるで関係ないけど、このタッチは陳凱歌の新作『道士下山』を思わせる。これはファンタジーではないのに、まるで、遠い昔のお話のようだ。リアルでなくてもかまわないし、こんなにもリアリズムなのに、リアルから距離を感じる。もちろん、これはかなり昔のお話で、彼女は今では90歳の老女だ。記憶はあいまいになっていても構わない。そんな彼女の昔話ではある。
昔、昔、琉球王国がありました。彼女はその末裔で、王様に仕えていた貴族の家系で、祖父は王様と一緒に東京に行きました。王国が日本に統合されたからです、というようなところから話が始めるからだ。しかし、それは、昔昔のお話ではない。明治以降、昭和から現代に近づく。そんな時代の物語りだ。
ツタという名前の少女がやがて大人になり、さまざまな体験をしていく。沖縄に生まれ、豊かな家で育ち、何不自由なく暮らすはずだった。しかし、父が商売で失敗して、財産を失い、どんどん貧しくなり、やがては沖縄を棄てて、本土に。そんな彼女が80数年、いかに生きていくかが綴られていく。女学校を出て、代用教員となり、やがて結婚し、離婚もして、東京に出る。作家を目指す。
ツタは「久路千紗子」として生きる。新しい名前を持つこと。自分のなかのもう一人の自分。本当の自分として生きる。そのために、漠然と「作家になる」という夢を抱く。「心の裡を言葉にすること」
わき溢れてくる心の声。そうすることで、「わたしは、何者にもなれる」と思う。しかし、私はどこまでいっても私でしかない。
こうして生きたことが、正しかったのかどうか、わからない。いくつもの局面を乗り越え、たどりつくラスト。再び、40年の歳月を経て、作家としての自分と向き合うこと。作家というもうひとりの自分を心の中に持つ。一瞬作家になるけど、幻の作家として消えていく。小説の中で沖縄を生きたことで沖縄に裏切られる。
彼女にとって沖縄って何だったのか。結局はそこに帰ってくる。沖縄に生まれ、沖縄を遠く離れて、死んでいく。ツタの魂の旅が描かれる。自分が何者なのか、何者にもなれるけど、自分は自分でしかない。実人生を疑い、小説の中に本当の自分を見出そうとし、それもかなわず、だが、彼女の生きた人生が小説となる。そんなとんでもない作品である。
まるで関係ないけど、このタッチは陳凱歌の新作『道士下山』を思わせる。これはファンタジーではないのに、まるで、遠い昔のお話のようだ。リアルでなくてもかまわないし、こんなにもリアリズムなのに、リアルから距離を感じる。もちろん、これはかなり昔のお話で、彼女は今では90歳の老女だ。記憶はあいまいになっていても構わない。そんな彼女の昔話ではある。
昔、昔、琉球王国がありました。彼女はその末裔で、王様に仕えていた貴族の家系で、祖父は王様と一緒に東京に行きました。王国が日本に統合されたからです、というようなところから話が始めるからだ。しかし、それは、昔昔のお話ではない。明治以降、昭和から現代に近づく。そんな時代の物語りだ。
ツタという名前の少女がやがて大人になり、さまざまな体験をしていく。沖縄に生まれ、豊かな家で育ち、何不自由なく暮らすはずだった。しかし、父が商売で失敗して、財産を失い、どんどん貧しくなり、やがては沖縄を棄てて、本土に。そんな彼女が80数年、いかに生きていくかが綴られていく。女学校を出て、代用教員となり、やがて結婚し、離婚もして、東京に出る。作家を目指す。
ツタは「久路千紗子」として生きる。新しい名前を持つこと。自分のなかのもう一人の自分。本当の自分として生きる。そのために、漠然と「作家になる」という夢を抱く。「心の裡を言葉にすること」
わき溢れてくる心の声。そうすることで、「わたしは、何者にもなれる」と思う。しかし、私はどこまでいっても私でしかない。
こうして生きたことが、正しかったのかどうか、わからない。いくつもの局面を乗り越え、たどりつくラスト。再び、40年の歳月を経て、作家としての自分と向き合うこと。作家というもうひとりの自分を心の中に持つ。一瞬作家になるけど、幻の作家として消えていく。小説の中で沖縄を生きたことで沖縄に裏切られる。
彼女にとって沖縄って何だったのか。結局はそこに帰ってくる。沖縄に生まれ、沖縄を遠く離れて、死んでいく。ツタの魂の旅が描かれる。自分が何者なのか、何者にもなれるけど、自分は自分でしかない。実人生を疑い、小説の中に本当の自分を見出そうとし、それもかなわず、だが、彼女の生きた人生が小説となる。そんなとんでもない作品である。