習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『ゾディアック』

2007-06-09 07:00:41 | 映画
 なんとなく見る前からよく似ている、と思っていたが、映画の後半に到り確信した。これはポン・ジュノの『殺人の追憶』にそっくりなのだ。ほんとによく似たテイストの映画である。それはストーリーだけの問題ではない。事件を追いかけていくうちに、どんどん迷宮に嵌りこんでしまい、抜け出せなくなる。事件はもう終わっているのに、いつまでもいつまでも拘り続け、精神的にも、肉体的にもボロボロになってしまい家庭すら崩壊させ、全てを失う。こういう事件との関わり方が似てると思う。

 これはゾディアックの謎を描く映画ではなく、ゾディアックという幻想に囚われてしまった男たちの破滅を描く物語である。この映画が怖いのは、ゾディアックの凶悪な犯罪を描く前半ではない。ゾディアック自身がもう殺人に興味を失ってしまったのに、事件にいつまでも拘り続けるジェイク・ギレンホールが哀れを誘う後半である。ロバート・ダウニー・Jrは一足先に足を洗ったのに、彼はますますのめり込み、狂気に到る。ゾディアックよりも彼の方が異常ではないか、と思うくらいだ。

 前半は犯人と、彼を何とかして捕らえようとする側の対決がサスペンスフルに描かれドキドキさせられる。ここまではとてもハリウッドらしい映画だ。しかし、それが、一転していく。ゾディアックという存在自体が実在の人物ではなく、悪の象徴と化していく中で、映画は方向性を変える。ゾディアック事件をモデルにした映画クリント・イーストウッド『ダーティーハリー』が上映され、それを関係者たちが見に行くシーンで、実質的には終わる。事件が映画となり過去のものとなり、一つの時代は終わったのだ。

 なのに、この映画はここから、まだまだ続く。いつまでも終わらない悪夢を見ているような映画である。この終盤をどう評価するかは、微妙だ。デビット・フィンチャーはここからが腕の見せ場だと思ったようだ。まるで、ドキュメンタリーのように淡々と事件を追っていく。いつものけれんはない。ラストまで見た時、犯人なんてどうでもよくなる。2時間37分がとてつもなく長い。見終わった後、どっと疲れる。だからといって誤解されたら困る。これは凄い映画なのである。つまらないから長いのではない。この『長さ』が映画の魅力を形成しているのだ。

 映画は最初から最後までを時間軸に沿って途切れることなく見せていく。シーンとシーンの間はそれから何時間後、とか何分後、と字幕が入る。それがずっと続く。事件を目撃する。そして、捉われる。あなたはその衝撃に耐えられるか。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『スキトモ』 | トップ | 江國香織『がらくた』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。