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映画・演劇のレビュー

劇団きづがわ『歌わせたい男たち』

2011-12-20 23:01:07 | 演劇
見始めてしばらくして、この題材はもう古いのではないか、と思ってしまった。君が代問題なんてもう学校では問題視すらされていない。歌って当たり前。(まぁ、誰も歌わないけど)立って当たり前。もう誰も疑問視しないし、教員側も当然のこととして、それを受け入れている。抵抗するまでもないことになっている。

 この芝居を見て、今頃こんなことで、ドタバタしている姿を描くなんて、時代錯誤も甚だしい。だから、なんかとても滑稽なこと、と思ってしまう。しかし、この過去の出来事に対して必死になってドタバタしている芝居の中の教師たちを見ているうちに、醒めた目で彼らの右往左往をみつめてしまう自分に対して、なんかその全てを他人事にして、アナクロで、過去のこととして見るその冷静さって、なんだかものすごく居心地が悪い。僕たちはもう飼い慣らされてしまって、無駄な抵抗もなく従順に受け入れているだけなのだ、と思わされる。

 人はこんなふうにならされてしまうのだ。林田さんが永井愛さんの台本を今の大阪に移し換えて見せるこの作品の底に流れているものは、怒りの感情だ。無力で、弱い人間が、それでも抵抗を試みる滑稽な姿を通して、ひとりひとりの人間の尊厳とは何なのか、を問う。暴力的な権力の前でひとりひとりは無力になる。今の時代、連帯なんて望むべくもない。ここに登場する5人の先生たちも立場の違いはあるけれど、それぞれ無力で弱い存在でしかない。でも、生きていくために彼らは必死になっている。その姿を笑うことはできない。

 ここに描かれる君が代問題を通しての林田さんによる橋下ファシズムへの警鐘を真摯に受け止めよう。小さな声でもかまわないから、誰かがちゃんと言わなければならない。この芝居がベースとする人間の弱さと向き合うことは、今、ひとりひとりが自分の問題として受け止めていかなければならない課題なのである。声高に叫ぶことなく、でも強い意志で、何も終わってはいないと、この芝居は訴える。




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1 コメント

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とらえ方ですね (大橋むつお)
2012-05-13 09:56:16
国歌斉唱を悪ととらえるなら、例え、今の現場の状況と合わなくても、この作品には上演価値はあると思います。その上で、この作品を見ると、結論を導き出す構成だけしか残らず、人間の描写に弱さを感じます。音楽の講師が、ピアノの演奏に自信がない、という個人的な戯画化された悩みから、日の丸反対の社会科の教師に共感するところのプロセスが描けていないように感じました。他の登場人物も、典型ではなくツクリモノめいた類型に留まり、30年現場にいた人間として違和感を感じました。また、日の丸は別にしても、三年の担任を持っている社会科教師が、卒業式の朝に式服も着ず、教室にもいないで、保健室に入り浸っているのは、このことだけで教師失格です。卒業式直前は、式にあたっての最終確認や、式後の説明やら、やることは一杯あります。かつての同業者としては、この社会科の担任を教師として主義主張を別としても共感できません。作者は、反国旗を正当化するために、社会科の担任を舞台に残しました。作劇に無理を感じます。
わたしは、若い現職のころから、国旗の掲揚に賛成して、ずいぶん痛い目に遭ってきましたが、その立場から見ると、この芝居は単なる、反国旗のプロパガンダに過ぎません。わたしは、式日に国旗が掲揚され、国歌斉唱(歌う人はまだ少数ですが)時に起立する習慣ができたことを素直に喜んでいます。
ただ、職務命令を出したり、罰則規定を設けることは、反対です。強制して起立させては、国旗国歌を自然に敬愛する精神に反発させるだけです。国旗国歌は、自然なカタチと、緩やかな流れの中で定着しつつあるのですから、今さら、唇の動きを監視するのは、別の次元で、道を踏み外しているように思えます。
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