劇団結成15周年記念作品である。しかも「構想17年。結成前より、あたため続けてきた劇団にとっては念願の作品」(チラシによる)とある。寺田夢酔さんがずっとやりたいと願い続けたけど、時期尚早と断念してきたこの夢の企画を、今回満を持して実現する。万全の準備で贈る超大作。
だが、えてしてこういう企画は、肩に力が入り過ぎて空回りすることも多い。しかも、この企画は難しい。実在した人物の伝記物であり、闘病記でもある。そのストーリーだけで、観客の涙を搾り取ることは簡単だ。実際に劇場ではすすり泣きの声も絶えなかった。だが、この作品は観客を泣かせることが目的ではない。
ガンに犯されながら、最後までもう一度広島市民球場のマウンドに立つことを夢見て生きた津田投手(寺田さんが演じる)の戦いを描く。妻と彼とのドラマを中心に据え、彼がチームのみんなと過ごした時間を追いかける。仲間がいる。いつもみんなが支えてくれる。
リリーフとして、マウンドに立ち、凄まじいプレッシャーと戦いながら、チームメイトに後押しされて、目標に向かって一丸となり戦う。優勝は結果でしかない。そこに向けて戦う日々が大事なのだ。ここに描かれることは、実際に広島東洋カープが優勝したことが背景になるが、作者はことさらその事実を問題にしているのではない。誰もがそれぞれの場所で自分の人生と向き合い戦っている。その普遍性こそ、ここに描かれることなのだ。これは特別な選ばれた人間のドラマではない。
ドラマの中心はあくまでも闘病を描く部分だ。それを引退するまでの輝かしい日々のドラマと並行して見せる。対比ではない。同じように並列して見せるのだ。そこには、人生の明暗がある、のではない。どちらも同じことなのである。マウンドに立つことも、病院のベッドにいることも、そこが彼の戦場であり、彼はあきらめることなく、最後の最後まで全力投球で生きる。死ぬことを描くのではなく、生きることを描くのだ。その姿勢にはブレがない。
ナレーションを多用してそれで話を繋いでいくスタイルは、芝居としてはかなりしんどい。視覚的に見せるほうが、いい。だが、敢えてこの困難な方法を選択した。作者はここに描かれる出来事を冷静に見せるのだ。感情過多にはならない。
しかも、この作品は実在の人物が(しかも、今もほとんどの方が存命している)実名で登場するノンフィクションだから、遺族の方の意向もしっかり受け止め作らなければならない。事実を曲げるような部分は一切あってはならない。だが、これは制約ではない。寺田さんにとってそれは望むところであろう。津田投手のすべてをここに描くことが出来たなら作家として本望だ。その姿勢は崩れないから、芝居としては一切遊びのない重い作品であるにもかかわらず、最後まで緊張感を持続することが出来た。
この愚鈍にも見える生真面目さが彼の矜持だ。単調な芝居であることは否めない。だがそんなこと重々承知の上でこのスタイルを選んだのだから、それでいいではないか、と思う。気持ちのいい舞台だった。やりたいことをやり遂げたという満足感があるだろう。ここを新たなスタートラインとして、次は20周年にむけて頑張って欲しい。
だが、えてしてこういう企画は、肩に力が入り過ぎて空回りすることも多い。しかも、この企画は難しい。実在した人物の伝記物であり、闘病記でもある。そのストーリーだけで、観客の涙を搾り取ることは簡単だ。実際に劇場ではすすり泣きの声も絶えなかった。だが、この作品は観客を泣かせることが目的ではない。
ガンに犯されながら、最後までもう一度広島市民球場のマウンドに立つことを夢見て生きた津田投手(寺田さんが演じる)の戦いを描く。妻と彼とのドラマを中心に据え、彼がチームのみんなと過ごした時間を追いかける。仲間がいる。いつもみんなが支えてくれる。
リリーフとして、マウンドに立ち、凄まじいプレッシャーと戦いながら、チームメイトに後押しされて、目標に向かって一丸となり戦う。優勝は結果でしかない。そこに向けて戦う日々が大事なのだ。ここに描かれることは、実際に広島東洋カープが優勝したことが背景になるが、作者はことさらその事実を問題にしているのではない。誰もがそれぞれの場所で自分の人生と向き合い戦っている。その普遍性こそ、ここに描かれることなのだ。これは特別な選ばれた人間のドラマではない。
ドラマの中心はあくまでも闘病を描く部分だ。それを引退するまでの輝かしい日々のドラマと並行して見せる。対比ではない。同じように並列して見せるのだ。そこには、人生の明暗がある、のではない。どちらも同じことなのである。マウンドに立つことも、病院のベッドにいることも、そこが彼の戦場であり、彼はあきらめることなく、最後の最後まで全力投球で生きる。死ぬことを描くのではなく、生きることを描くのだ。その姿勢にはブレがない。
ナレーションを多用してそれで話を繋いでいくスタイルは、芝居としてはかなりしんどい。視覚的に見せるほうが、いい。だが、敢えてこの困難な方法を選択した。作者はここに描かれる出来事を冷静に見せるのだ。感情過多にはならない。
しかも、この作品は実在の人物が(しかも、今もほとんどの方が存命している)実名で登場するノンフィクションだから、遺族の方の意向もしっかり受け止め作らなければならない。事実を曲げるような部分は一切あってはならない。だが、これは制約ではない。寺田さんにとってそれは望むところであろう。津田投手のすべてをここに描くことが出来たなら作家として本望だ。その姿勢は崩れないから、芝居としては一切遊びのない重い作品であるにもかかわらず、最後まで緊張感を持続することが出来た。
この愚鈍にも見える生真面目さが彼の矜持だ。単調な芝居であることは否めない。だがそんなこと重々承知の上でこのスタイルを選んだのだから、それでいいではないか、と思う。気持ちのいい舞台だった。やりたいことをやり遂げたという満足感があるだろう。ここを新たなスタートラインとして、次は20周年にむけて頑張って欲しい。