矢口史靖監督最新作。今回は家族のお話だ。でも、アイデアとしてはまず、電気のなくなった世界でのサバイバル、という部分が前提となる。そんなバカな、というようなその状況をリアルに描いて、やがて、そこから始まるドラマをロードムービーとして見せることになる。東京から出ないお話だと思っていたから、なんと東京から鹿児島までを自転車で旅することになるなんて思いもしなかったから驚く。
近未来SF的設定なのに、まるで事態の説明もなく、それでどこまでも行く。いつになったら復旧するのかわからない。いつまでも何もしない、ではいられない。マンションを出て、生活のできる場所を求め、妻の実家のある鹿児島を目指す。最初は羽田から飛行機の乗ろうととする。でも、電気がないのに、飛行機は飛ぶと信じるところが愚かだけど、藁にもすがりたい一心だろう。
この序盤の東京篇しか、予告編では見せていなかったのは、きっと監督の戦略だったのだろう。思いもしないその後の展開には最初は戸惑うけど、でも、仕方あるまいと、納得して、じゃぁ、どうなるの、とドキドキしながら、見守ることになる。これこそ、本来の映画の在り方だ。まるで先の読めない展開は、旅する彼ら4人家族と同じ位置に観客を置くことになる。この彼ら目線でスクリーンを見守るしかないというのが面白い。ロードムービーの始まりだ。
最初は東京をなかなか離れられないし、地図もないから、道がわからない。やがて、どうせ車も走ってないんだから、と開き直り、高速道路に入ると、なんとそこは同じことを考える人たちの長蛇の列、という展開には苦笑い。噂では大阪以西では電気があるらしい。そんな根拠のない話を信じるしかない。みんなが西を目指す。電気がなくなるだけで、今の生活は破滅するという(当たり前のような)事実に、まず驚かされる。映画だから笑って見ているけど、本当なら心穏やかではいられない。映画はそこで生じるあらゆる状況をちゃんと目の前に映像として見せ、示してくれるのが凄い。電気のない今の世界を現実の東京の風景の中で見せるのだ。
いろんな風景が、電気がないということだけで、なんだかシュールで異常なものになる。昨年の『アイ・アム・ア・ヒーロー』でも、いきなりのとんでもない状況(人間がどんどんゾンビ化する)に右往左往する群衆が描かれたが、今回はよりリアルな設定なのに、(なので!)その阿鼻叫喚さはあの映画の比ではない。
大阪に到着したシーンから、さらなるサバイバルが始まる。とある村で豚を捕獲し、大地康雄の農夫に助けられるエピソードからお話は電気なんかなくても生きられる、という方向へと移行する。諦めが希望へとつながる。そのへんも面白い。だいたい人間はもともと電気なんかなくて生きていたんだから、原始に戻ればいいのだ、という開き直りだ。というよりも、仕方ないから、ないということを当たり前だと思うのだ。そこから創意工夫が生まれる。この村での生活を描くシーンがすばらしい。そこにはふつうの人間の営みがある。東京での日々は何だったのか、と思わせるくらいに自然で心地よい時間が流れる。畑を耕し、豚を飼育し、朝になれば起きて、暗くなれば寝る。
だが、映画はそこでは終わらない。安住の地であるここから離れ、さらに南を目指すことになる。妻に実家である鹿児島のおじいちゃんのところへと。川を渡るところでの父親の遭難から蒸気機関車のエピソードへと続く展開は、再びあっと驚くけど、ラストの鹿児島での日々で、再び安心させられハッピーエンド。
さらには、始まりと同じようにいきなりの電気の復旧。そして、もとの生活に帰ることになる、というのだが、でもこの体験を経た彼らはもう以前とは違う。あの体験をした人類は以前より謙虚になっている、というのがオチだ。こんなにも普通のラストシーンにホッとする。この奇抜な設定を正統的なドラマとしてまとめる。さすが矢口監督だ。
近未来SF的設定なのに、まるで事態の説明もなく、それでどこまでも行く。いつになったら復旧するのかわからない。いつまでも何もしない、ではいられない。マンションを出て、生活のできる場所を求め、妻の実家のある鹿児島を目指す。最初は羽田から飛行機の乗ろうととする。でも、電気がないのに、飛行機は飛ぶと信じるところが愚かだけど、藁にもすがりたい一心だろう。
この序盤の東京篇しか、予告編では見せていなかったのは、きっと監督の戦略だったのだろう。思いもしないその後の展開には最初は戸惑うけど、でも、仕方あるまいと、納得して、じゃぁ、どうなるの、とドキドキしながら、見守ることになる。これこそ、本来の映画の在り方だ。まるで先の読めない展開は、旅する彼ら4人家族と同じ位置に観客を置くことになる。この彼ら目線でスクリーンを見守るしかないというのが面白い。ロードムービーの始まりだ。
最初は東京をなかなか離れられないし、地図もないから、道がわからない。やがて、どうせ車も走ってないんだから、と開き直り、高速道路に入ると、なんとそこは同じことを考える人たちの長蛇の列、という展開には苦笑い。噂では大阪以西では電気があるらしい。そんな根拠のない話を信じるしかない。みんなが西を目指す。電気がなくなるだけで、今の生活は破滅するという(当たり前のような)事実に、まず驚かされる。映画だから笑って見ているけど、本当なら心穏やかではいられない。映画はそこで生じるあらゆる状況をちゃんと目の前に映像として見せ、示してくれるのが凄い。電気のない今の世界を現実の東京の風景の中で見せるのだ。
いろんな風景が、電気がないということだけで、なんだかシュールで異常なものになる。昨年の『アイ・アム・ア・ヒーロー』でも、いきなりのとんでもない状況(人間がどんどんゾンビ化する)に右往左往する群衆が描かれたが、今回はよりリアルな設定なのに、(なので!)その阿鼻叫喚さはあの映画の比ではない。
大阪に到着したシーンから、さらなるサバイバルが始まる。とある村で豚を捕獲し、大地康雄の農夫に助けられるエピソードからお話は電気なんかなくても生きられる、という方向へと移行する。諦めが希望へとつながる。そのへんも面白い。だいたい人間はもともと電気なんかなくて生きていたんだから、原始に戻ればいいのだ、という開き直りだ。というよりも、仕方ないから、ないということを当たり前だと思うのだ。そこから創意工夫が生まれる。この村での生活を描くシーンがすばらしい。そこにはふつうの人間の営みがある。東京での日々は何だったのか、と思わせるくらいに自然で心地よい時間が流れる。畑を耕し、豚を飼育し、朝になれば起きて、暗くなれば寝る。
だが、映画はそこでは終わらない。安住の地であるここから離れ、さらに南を目指すことになる。妻に実家である鹿児島のおじいちゃんのところへと。川を渡るところでの父親の遭難から蒸気機関車のエピソードへと続く展開は、再びあっと驚くけど、ラストの鹿児島での日々で、再び安心させられハッピーエンド。
さらには、始まりと同じようにいきなりの電気の復旧。そして、もとの生活に帰ることになる、というのだが、でもこの体験を経た彼らはもう以前とは違う。あの体験をした人類は以前より謙虚になっている、というのがオチだ。こんなにも普通のラストシーンにホッとする。この奇抜な設定を正統的なドラマとしてまとめる。さすが矢口監督だ。