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映画・演劇のレビュー

『ペタルダンス』

2013-09-30 21:31:49 | 映画
 石川寛監督の3作目。今回もまるで風のような映画だ。ここには何もない。ただ通り過ぎていくばかり。3人の女の子たちの日常をスケッチする。しかもほんの数シーンだけ。彼女たちがどんな子でどんなふうに毎日を過ごしているのか、それすら伝わらない。そんな点描のいくつかがあり、3人が旅に出る。

 しかもそれはほんの小さな旅だ。1泊2日。6年振りに友人に会いに行く。彼女は自殺したらしい。でも、死ななかった。今、入院している。宮崎あおいと安藤サクラは彼女(吹石一恵)の同級生。忽那汐里はたまたま宮崎が知り合いになった行きずりの関係。それまで知らない人だった。図書館の司書と利用者。それだけの関係のはずだった。でも、諸事情から同行することになる。

 たまたま合わなくなった友だち。でも、嫌いになったわけではない。気づくといつの間にか、ここにはいない。それくらいに関係が薄かったのか、と言われると、そうかもしれないようなそうでもないような。何があったか、わからない。何もなかったかもしれない。でも、だから、また会いたいと思った。確かにきっかけはある。でも、それだけではない。

 誰も何も言わないし、何も聞かない。ただ、一緒にいて、別れる。風景の中に彼女たち4人を置きたかっただけなのではないか、と思わせるほどにさりげない。こんなことで1本の映画になるのか、と心配するほどだ。でも、石川監督はいつもこのくらいで映画にしてきた。だから、今回もそれで90分の映画に仕上げる。

 海を見に行く。そこにたたずむ。そして、また、明日からいつものように暮らす。ばらばらになり、それぞれの時間を生きる。車を走らせて北の街へと向かう。連絡もせず、いきなり病院に行く。何を話すわけでもない。ただ、一緒にいる。ほんの少しの時間。彼女たちの背景は最初に描かれたいくつかのシーンだけ。その後、その補足のように数シーン追加はあるけど、そこからドラマは生じない。そんなことを描きたいわけではないからだ。

 こんな映画があってもいい。嫌いな人は見なくてもいいから。好きな人だけのための映画。なんにもないことが、こんなにも心地よい。それぞれの人生の一断面を覗き見した気分。ごめんなさい、と言いたくなるほどに、これはとてもプライベートな映画なのだ。



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