『サウルの息子』のネメシュ・ラースロー監督最新作。長編2作目となるこの作品はあまりに惨い作品。前作のスタイルを引き継ぎ、今回もカメラは主人公の姿を顔のアップからバストショットで捉え、スクリーンの情報量は少なくなる。彼女の周囲数メートルだけ。しかも、お話がわからない。ストーリーは追えないわけではないけど、謎はまるで解き明かされないまま、放置プレー。さすがに2時間経ってもよくわからないのでは、匙を投げるしかなかった。すみません、僕には無理です。
第一次世界大戦が始まるほぼ一年前の夏、1913年、オーストリア=ハンガリー帝国の都ブダペストを舞台にして、2歳でこの町を去った女性が大人になり、再び戻ってくる。両親が経営していた帽子屋に就職するためだ。自分が生まれた家に戻り、そこで何があったのかを知るために。でも、謎はさらなる謎を呼ぶだけで、事態は一向に収束しない。それどころかどんどん混沌としていくばかりだ。それが面白ければいいのだけど、わからなさすぎて、説明も一切ないし、ストレスばかりがたまりにたまる。
とどめはあのラストシーンだ。なんで彼女が戦場にいるのだ? そんなことあり得ないではないか。では、あれは妄想なのか。というか、この映画全体が彼女の夢想でしかないのか。でも、それにしてもお話はリアルなドラマだし。全体が当時のブダペストの状況を象徴的に描き出しているのだろうけど、歴史に疎いからよくわからない。でもこんな形での監督のやりたい放題は僕は納得いかない。先日のビー・ガン監督の『ロングナイト・ジャーニー この夜の涯てへ』同様で過激なのはいいけど、これはやりすぎ。これでは観客を置き去りにして自己満足に浸っているだけ。
冒頭の意志に強そうな無表情からスタートして、恐れを知らない猪突猛進がどこに行きつくのか、ドキドキするのだが、最初はこれはこれでよかった、とは思うけど、そのままラストまで2時間22分それが続くのはさすがにあんまりである。せめて幻想的な映画としてのスタイルを踏んで、それなりのヒントくらいは用意して欲しかった。ここまで突き放されたなら取り付く島はない。
両親の死の謎、その存在すら知らなかった兄、何がここであったのか、そして何が今起きているのか、謎は回収されないだけでなく、どんどん膨らんでいく。収拾がつかない。こんな映画があるなんて、それも驚き。