11年前の初演を見ている。というか、2劇はずっと見ているから、(学内での公演は除く)当然のことだが、こんな大事な仕掛けを忘れていた。当日配布される文庫本である。よくぞここまで作ったものだ。これを安易に公演パンフと呼ぶのは、はばかられる。(もちろん、芝居に使うのだが、決して必要不可欠なもの、というわけではない。要するに、これは作り手の側の趣味なのだ。でも、ここまで手の込んだ作業をした。好きでもなかなかここまではしない。)
初演の時もちゃんとこういうのを配っていたはずなのだが、あまり記憶になかったから、公演当日にこの岩波文庫(を模した)を手にしたとき、新鮮な驚きがあった。ここまでやるか、と思った。
これを貰った時、これは芝居よりも力が入っている(と、その時はまだ、この芝居を見ていないのに)と思った。いや、すまなかった。芝居も、この文庫本に負けないほどによかった!(それって、フォローになってないやん)
冗談はさておく。今回の芝居である。阿部さん(作、演出の阿部茂)が、こんなにも堂々と出演している。他には大人組がほとんど出ていないのに、である。「横山」役も横山さんが演じない。いいのか、それで、と思ったが、そんなこと、誰も気にしないから、いいのだ。(というか、もし、この役を横山さんが演じたなら、年齢的におかしいし。)そんなことより、芝居だ。
なんだか、緩い。でも、この緩さが心地よい。若い役者たちは健闘している。この不条理劇を嬉々として演じている。タッチがとても軽やかだ。当然、重い話にはならないのがいい。毎日記憶を失う青年と、その世話をする姉の話である。シリアスに作ったなら、観念的で、重いものになる。だいたい岩波文庫なのだ。サブタイトルも「ある記憶障害者に関する記憶」なのである。堅い、硬い、難い。
ふざけることなく、ゆるく作る。それがとても今風だ。締めるところはちゃんと締めて、まとまりがいい。完成度は高い。ただ、もう少し、あとほんの一押しが欲しい。詰めの甘さは2劇の常なのだが。ここに繰り広げられる、かなりいびつな日常をどう受け止めるのか。さらには、その先に何を見るのか。答えに当たるところはもっとちゃんと提示してもいいのではないか。幸せだった日々を過去のものとするのではなく、未来に向けた答えとして提示したのはいいけど、あとひと押しあれば、泣けたのにと思うと、少し、残念。