総勢16人のキャストが織りなす。しかも、主役の猿川博士を劇団のエースである栗木己義とコヤマアキヒロがダブルキャストで演じる。ということは、2回見なくてはふたりの芝居は見れない。そんな贅沢なキャスティングって、と啞然とする。でも、主役といいながら2時間の芝居で出番は30分にも満たないけど。
これだけのキャストを擁して、でも、芝居はいつものように淡々と進行する。まぁ、当然のことだけど。いつものように「この世界」の不思議を描くはせさんの淡白なタッチは健在。ただ、今回いつもと違うのは、すべてをきちんと理に落し込んで、まとめてしまおうという律儀さが影を潜めること。それはあまりにもたくさんの情報量を提示したので、収拾がつかなくなった、からではない。あえて曖昧な部分も気にせず残してしまおうとしたからだ。それは作家としての逃げではなくこの世界の在り方の本来の姿なのだろう。もちろん、それは逃げ道と紙一重なので怖いところだ。しかし、そんな怖さも引き受けなくては、この世界の不思議と向き合うことなんかできないよ、とはせさんは軽く笑い飛ばす。
全体の整合性があまりよくないし、謎が謎を呼ぶいくつものエピソードは重大なことも、どうでもいいこともなんだか同じように描かれる。幽体離脱、占いの館、原発、ヤクザ、恋人がいなくなる。捜しに行く。もちろん、ちゃんと行方不明の猿川教授も捜すし。行方を追うのは警察も。舞台美術も含めて、わざと余白がいっぱいある。空っぽの空間。いつもの作り込んだ舞台とは違う。
僕が見た回はアフタートークのゲストに少年王者館の天野天街さんを迎えた。天野さんは芝居のダメだしをする。しかも、実に細かい。いつもはせさんも細かいのに、今回は緻密じゃない。それを楽しんでいる。
猿川先生の行方不明と記憶喪失は、何が原因なのか。宇宙人やら、震災やら、空想的なものも、想定外の現実もすべてが混然一体となるこの世の中で、その先にある「あるのかないのかわからない出口」にむけて、軽やかな足取りでスキップしていく《はせひろいち》の軽妙さは、石坂浩二の金田一探偵のようだ。この芝居を見て、それをまず楽しんで欲しい。
これだけのキャストを擁して、でも、芝居はいつものように淡々と進行する。まぁ、当然のことだけど。いつものように「この世界」の不思議を描くはせさんの淡白なタッチは健在。ただ、今回いつもと違うのは、すべてをきちんと理に落し込んで、まとめてしまおうという律儀さが影を潜めること。それはあまりにもたくさんの情報量を提示したので、収拾がつかなくなった、からではない。あえて曖昧な部分も気にせず残してしまおうとしたからだ。それは作家としての逃げではなくこの世界の在り方の本来の姿なのだろう。もちろん、それは逃げ道と紙一重なので怖いところだ。しかし、そんな怖さも引き受けなくては、この世界の不思議と向き合うことなんかできないよ、とはせさんは軽く笑い飛ばす。
全体の整合性があまりよくないし、謎が謎を呼ぶいくつものエピソードは重大なことも、どうでもいいこともなんだか同じように描かれる。幽体離脱、占いの館、原発、ヤクザ、恋人がいなくなる。捜しに行く。もちろん、ちゃんと行方不明の猿川教授も捜すし。行方を追うのは警察も。舞台美術も含めて、わざと余白がいっぱいある。空っぽの空間。いつもの作り込んだ舞台とは違う。
僕が見た回はアフタートークのゲストに少年王者館の天野天街さんを迎えた。天野さんは芝居のダメだしをする。しかも、実に細かい。いつもはせさんも細かいのに、今回は緻密じゃない。それを楽しんでいる。
猿川先生の行方不明と記憶喪失は、何が原因なのか。宇宙人やら、震災やら、空想的なものも、想定外の現実もすべてが混然一体となるこの世の中で、その先にある「あるのかないのかわからない出口」にむけて、軽やかな足取りでスキップしていく《はせひろいち》の軽妙さは、石坂浩二の金田一探偵のようだ。この芝居を見て、それをまず楽しんで欲しい。