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映画・演劇のレビュー

犯罪友の会『横町のダーリン』

2014-05-19 19:38:57 | 演劇
こんなにも軽やかなお話として、全体をまとめてあることに驚きを禁じ得ない。武田さんは敢えて重い話にはしない。高校生の女の子を主人公にして、彼女の目から見た今(あの頃。大阪で万博が開催された時代、1970年)を描きながら、同時に、それでもまだ「戦後」は終わってはいない、ということを切々と綴る。帰らない夫を今も待ち続ける女の物語(こちらのほうが本当は中心になる)として全体をまとめあげていく。だが、最初と最後はきちんと少女の話にして、未来に向けてこのドラマを押し進めていくという構成をとる。戦後は終わらない。だが、25年の歳月が経ち、人々の心の中から少しずつ消えていこうとする。いや、消していかなくてはならないと誰もが思った。

「人類の進歩と調和」をテーマにした祭典の陰に隠れた「小さな街の小さなロマンス」を描く。少女は美術部で、絵を描く。野球部のエースのことが気になっている。どこにでもあるようなお話だ。弱い野球部にすごいピッチャー。甲子園を目指すけど、地区予選でもなかなか勝てない。夢と現実の間で、誰もが、ほんの少し夢を信じていた。もしかしたら、すごい未来が待っているのではないか、と。高校生だから、もうそれなりには大人だから、甘いばかりの夢に溺れるわけではない。だが、時代はまだ、明るく未来は希望に満ち溢れていると信じた。

25年前のロマンスと、今のロマンスを並行して描きながら、悲惨だった戦争の時代と、高度成長期の「今」とを対比させるのではなく、いつの時代にも、どんな時代でも、ロマンスは同じなのだと語る。平成の今(この芝居の描く時代からさらに45年も過ぎている)ここに描かれる恋愛はもう懐かしい風景になる。でも、本質はいつの時代でも、きっと変わらない、と武田さんは信じる。懐かしくて、ほろ苦い。そんな青春の一駒として、この小さな切ない物語を紡ぐ。野外劇としてのスケールの大きなお話と、劇場でのこの小さな話とが、まるで同じようなものとして、描かれていくのが、いい。市井のかたすみでひっそりと生きる人々の姿を丁寧に武田さんが綴っていく。その筆致を堪能する。



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