このドキュメンタリー映画を見ながら、「教育」ってなんだろう、と思った。こんなにも手がかかる。しかも、目が離せないし。でも、時間をかけて彼らのいいところを見つけ、それを生かして行こうとする。それって簡単なことではない。忍耐とお金と時間がかかる。たったひとりのために、ここまでいろんなことを犠牲にしなければならないのか、とため息をつく。ただ2時間映画を見ているだけの僕がそう思うのである。当事者である人たちの苦労がしのばれる。だが彼らは我慢強く彼らと付き合う。彼らが自分らしく自由に生きれるように。
3人の自閉症児と、もう少年とは言えない20歳の同じように自閉症を患う青年が主人公である。そして、彼らを育てる家族と先生たちの物語だ。彼らの過ごす施設での日常を中心にして、そこでの気の遠くなるような日々が描かれる。子供たちがとてもかわいい。天使のような、という形容を敢えて使おう。他者とコミュニケーションが取れない。自分の世界にひきこもる。普通に学校通うことはできない。当然クラスメートとコミュニケーションは取れないし、取ろうともしない。担任の先生は手を焼く。お決まりのパターンだ。30人とか40人の面倒を見なければならない普通の学校では適応できない。
1対1で対応するしかない。彼らの持つ可能性を信じて彼らが生きやすいように育てる。努力や根気だけでは勤まらない。では、それは何なのかと思う。簡単に愛だ、なんて言わない。施設の先生たちの会話を延々綴るシーンがある。もちろん彼女たちが何を喋っているのか台湾語(中国語)が分からないから、まるでわからない。だが、彼女たちの真剣な話ぶりは伝わる。子どもたちをどう生かすかは彼女たちにかかっている。もちろん家族の理解も必要だ。
この映画を見ながら、「何があっても見離さないし、どこまでもついて行く」ことができるか、と思った。たとえ自分が愛した人であろうとも、である。もちろん、これが仕事だから、とは言わない。3人の子供たちの特性を生かしてそこをちゃんと伸ばしてあげようとする。それが将来彼らが生きていくうえで確実に力となるからだ。彼らが描く絵画がたくさん登場する。この映画の中心を為すのは絵を描くこと。彼らは自分の世界を自由にそこに表現する。自らの世界を展開していく。絵の世界はどこまでも広がる。大人になり絵を描いて生きる青年は3人にとっての道標のような存在だ。映画は3人と同時に彼もまた追いかけながら、彼らの未来を描く。簡単なことではない。それは少年たちのドラマと同時にこの青年のドラマを追うことでいつまでも彼らの闘いは続くことを示唆する。終わりのない旅だ。
3人の自閉症児と、もう少年とは言えない20歳の同じように自閉症を患う青年が主人公である。そして、彼らを育てる家族と先生たちの物語だ。彼らの過ごす施設での日常を中心にして、そこでの気の遠くなるような日々が描かれる。子供たちがとてもかわいい。天使のような、という形容を敢えて使おう。他者とコミュニケーションが取れない。自分の世界にひきこもる。普通に学校通うことはできない。当然クラスメートとコミュニケーションは取れないし、取ろうともしない。担任の先生は手を焼く。お決まりのパターンだ。30人とか40人の面倒を見なければならない普通の学校では適応できない。
1対1で対応するしかない。彼らの持つ可能性を信じて彼らが生きやすいように育てる。努力や根気だけでは勤まらない。では、それは何なのかと思う。簡単に愛だ、なんて言わない。施設の先生たちの会話を延々綴るシーンがある。もちろん彼女たちが何を喋っているのか台湾語(中国語)が分からないから、まるでわからない。だが、彼女たちの真剣な話ぶりは伝わる。子どもたちをどう生かすかは彼女たちにかかっている。もちろん家族の理解も必要だ。
この映画を見ながら、「何があっても見離さないし、どこまでもついて行く」ことができるか、と思った。たとえ自分が愛した人であろうとも、である。もちろん、これが仕事だから、とは言わない。3人の子供たちの特性を生かしてそこをちゃんと伸ばしてあげようとする。それが将来彼らが生きていくうえで確実に力となるからだ。彼らが描く絵画がたくさん登場する。この映画の中心を為すのは絵を描くこと。彼らは自分の世界を自由にそこに表現する。自らの世界を展開していく。絵の世界はどこまでも広がる。大人になり絵を描いて生きる青年は3人にとっての道標のような存在だ。映画は3人と同時に彼もまた追いかけながら、彼らの未来を描く。簡単なことではない。それは少年たちのドラマと同時にこの青年のドラマを追うことでいつまでも彼らの闘いは続くことを示唆する。終わりのない旅だ。