Mayの新作と同時公開された航路の新作は、金哲義さんから今を生きる子供たちに向けてのメッセージである。重くて暗いMayの作品とはいささか趣を異にして、ここには同じように民族の歴史を描くにしてもその切り口はこれから未来を生きる子供たちのため、わかりやすく前向きなストレートさを持つ。Mayとしてこの題材を取り上げたなら彼はこんなにも単純なドラマにはしないだろう。共産党員と思われて警察からマークされるという部分や、ヤクザたちの描写やら、普通ならもっと踏み込む部分がさらりと描かれるのは上演時間の問題もあるが、これがあくまでも子供目線の作品であることに由来する。
今回航路(ハンロ)として、この題材を取り上げる上でのスタンスは、子供たちと一緒に芝居を作る、ということだ。僕はその一点に感動する。この作品を作る上で、作り手が大切にしたのは、まっすぐな目で時代を見つめることである。それを子供たちに望んだ。ここに描かれる戦後すぐという時代を、子供たちがイメージすることは難しいことだろう。だが、学校で学ぶこと。それは今彼らが実際に経験していることだ。金哲義さんは彼らに今のままでいい、と言う。特別気負うことはない。彼らに教える、というのではない。彼らから学ぶ。彼らと同じ目線で時代を見つめることを選んだ。後は子供たちが自分で考える。6人の少年少女たちが大人と共にこの舞台に立つ。
彼が自分のことではなく、幼い子供たちがそこに何を見て、何を考えるべきなのかを指し示す教師の役割をしっかり芝居の中で見せようとしたとき、この作品が描く暗くて思い歴史の1ページを明るく力強い未来へのメッセージに変えてしまう力を持つ。
この作品の作りは甘くて緩い。だが、そんなことはわかった上でわざとそうしている。偽りのない真実が、誰もがわかるように伝わらないことには意味を為さない。教育はスタートラインでしかない。しかし、きちんとしたスタートを切らなくては人は生きていけない。子供たちが自信を持って正しいことを正しいと言えるようにいろんな知識を与えることが教育なのである。この芝居はそこにまで踏み込んでいる。
日本が戦争に負けて、世の中が混乱していた時代、小さな学校を作り、自分たちの言葉を教える。これは子供たちに自分たちの正しい歴史と生き方を教えようとしたソンフィ(金民樹)と彼女を助けようとした日本人野崎(金哲義)とのささやかな抵抗の物語だ。
焼け跡に生まれた学校は、やがて壊され、アメリカと日本は朝鮮戦争へと突入していく。祖国は分断され、変えるべき場所をなくす。そんな歴史を背景にして、子供たちと群像劇を作ろうとした。これはとてもたいへんな作業だったと思う。しかし、6人の子供たちを舞台に立たせ、彼らに芝居を教え、演じることを通して、自分って何なのかを考えさせることで、彼が立派な教師となる。金哲義さんが目指し、やろうとしたことは、作品の中にしっかり反映されている。彼は児童劇を作ろうとしたのではない。本気で自分たちの作る芝居の中に子供たちを巻き込んで協同で、自分たちが目指すべき作品を作りあげようとしたのだ。その姿勢には一切ぶれはなく、こんなさわやかな作品になった。芝居を通して教育とは何なのかを描き、彼自身が教育者となる。本当の意味での教育がここにはある。
今回航路(ハンロ)として、この題材を取り上げる上でのスタンスは、子供たちと一緒に芝居を作る、ということだ。僕はその一点に感動する。この作品を作る上で、作り手が大切にしたのは、まっすぐな目で時代を見つめることである。それを子供たちに望んだ。ここに描かれる戦後すぐという時代を、子供たちがイメージすることは難しいことだろう。だが、学校で学ぶこと。それは今彼らが実際に経験していることだ。金哲義さんは彼らに今のままでいい、と言う。特別気負うことはない。彼らに教える、というのではない。彼らから学ぶ。彼らと同じ目線で時代を見つめることを選んだ。後は子供たちが自分で考える。6人の少年少女たちが大人と共にこの舞台に立つ。
彼が自分のことではなく、幼い子供たちがそこに何を見て、何を考えるべきなのかを指し示す教師の役割をしっかり芝居の中で見せようとしたとき、この作品が描く暗くて思い歴史の1ページを明るく力強い未来へのメッセージに変えてしまう力を持つ。
この作品の作りは甘くて緩い。だが、そんなことはわかった上でわざとそうしている。偽りのない真実が、誰もがわかるように伝わらないことには意味を為さない。教育はスタートラインでしかない。しかし、きちんとしたスタートを切らなくては人は生きていけない。子供たちが自信を持って正しいことを正しいと言えるようにいろんな知識を与えることが教育なのである。この芝居はそこにまで踏み込んでいる。
日本が戦争に負けて、世の中が混乱していた時代、小さな学校を作り、自分たちの言葉を教える。これは子供たちに自分たちの正しい歴史と生き方を教えようとしたソンフィ(金民樹)と彼女を助けようとした日本人野崎(金哲義)とのささやかな抵抗の物語だ。
焼け跡に生まれた学校は、やがて壊され、アメリカと日本は朝鮮戦争へと突入していく。祖国は分断され、変えるべき場所をなくす。そんな歴史を背景にして、子供たちと群像劇を作ろうとした。これはとてもたいへんな作業だったと思う。しかし、6人の子供たちを舞台に立たせ、彼らに芝居を教え、演じることを通して、自分って何なのかを考えさせることで、彼が立派な教師となる。金哲義さんが目指し、やろうとしたことは、作品の中にしっかり反映されている。彼は児童劇を作ろうとしたのではない。本気で自分たちの作る芝居の中に子供たちを巻き込んで協同で、自分たちが目指すべき作品を作りあげようとしたのだ。その姿勢には一切ぶれはなく、こんなさわやかな作品になった。芝居を通して教育とは何なのかを描き、彼自身が教育者となる。本当の意味での教育がここにはある。