まさかこんな芝居を今見られるなんて、夢にも思わなかった。この大変な時期に、高校の演劇部が、校内の劇場で、一般の観客も一部入場させて、芝居を上演する。という、それだけでも、大変なことなのに、そこで取り上げた内容がこれである。実に過激で、挑発的。でも、それを奇を衒うというわけではなく、正攻法で、真正面からぶつけてくる。
高校生の妊娠と出産というテーマがそうだ、というのではない。問題はそれだけではなく、その見せ方にある。こんなにも、ストレートにテーマと向き合い、高校生たちが、大声で語り合い、熱く議論を交わす。舞台上から、客席に向けて、正面を向き、大声で叫ぶ。今これを伝えたい、という熱意が迸る。そんな芝居に驚くのだ。なぜ、妊娠したのか、ではない。まず、事実として、それがあり、なぜ、そんなことになったのかという原因究明ではなく、その先だけを見つめる。そういう姿勢が潔い。
いろんな意味で挑発的な作品を、いつもの金蘭会の方法論のもと、提示する。オリジナルではないから、金蘭らしさがない、という部分も、挑戦的だ。常に新しい挑戦をする。でも、「自分たち」らしさは見失わない。1時間30分という上演時間もいい。長編作品のボリュームである。
彼女の選択をいいとか、だめだとか、それでどうなるのかとか、どうにもならないだとか。何らかの結論を提示するわけではない。ただそこに未来を見る。それってすごい。目の前の事実と向き合う。高校の演劇部が出産をテーマにして芝居を作る。でも、その当事者が妊娠している。想像でしかなかったことが自分の現実となる。そこからみんなでその先を考える。そんな芝居を高校演劇で見る。実に刺激的である。