習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

SE・TU・NA『ラフレシア』

2007-05-01 08:59:54 | 演劇
 黒と白で統一されたスタイリシュな空間。L字型に客席が組まれ、その結果当然舞台もコーナーを使った逆L字型に組まれている。密室。天井には天窓があり月明かりが洩れているが、それは人工的に作られたもののようだ。正面に大きなモニター。ホテルの一室のようにも思える。空間は斜めに傾いでいる。(いつもながら見事な西本卓也さんの美術)不安定な空間は彼女たちの心の中を象徴する。ここに2人は閉じ込められている。

 冷蔵庫には飲み物もあり、食料もある。ベッドも、バス、トイレもあり、生活する上で問題はない。だが、なぜここにいるのかが、わからない。部屋には鍵がかかっていて出れない。誰からも、何の連絡もない。目覚めたときにはここにいた。2人はお互いに面識もない。だいたい自分たちが何者なのかすら分からないのだ。一切の記憶がない。

 2人はお互いを、ルナ(モリマリコ)とひまわり(鈴木いちか)と名付け、ここで生活する。失われた記憶を取り戻そうと努力する。一体誰が何のために、こんな事をしたのだろうか、わからないまま芝居は流れていく。

 劇的な展開はない。情報はほとんど与えられることもない。ただ、2人はクローン人間で、どちらかがどちらかのオリジナルなのかもしれない。、ということは判る。でも、そこからサスペンスが生まれるわけでもない。このことがあまり大きな意味を持たない。芝居の終盤、ほんの少し変化が生じる。だが、それすら2人の関係を拗れさせたり、変えたりはしない。

 芝居のラストで、2人はここから出て行くことになる。ドアを開けたなら、そこは光に満ちている。2人が向かう場所はどこなのか、それはわからない。

 お互いがお互いを自分の一部だと思う。これはある意味で究極の愛を描いた作品だ。と言っても、これは自己愛の一種だろう。他者と出会うことで、理解しきれない部分に、傷つきながらも生きていくというリアルの世界の話ではなく、まるで絵空事のようなラブストーリーとして綴られる。とても趣味がよく、綺麗だけれど、それ以上のものはない。これってなんだか少女マンガを見てる気分だ。それが悪いというのではない。こういう芝居は必要だと思う。丁寧に完璧を目指し、自分の作品世界を作り上げようとする姿勢に共感する。確信犯だが、それでも、もう少しルナの痛みに踏み込んだほうがよかったのではないか。彼女のひまわりへの一方的な愛が、何処に辿り着くのかが知りたい、気もする。

 蛇足だが、今回この芝居を見たのは舞台監督の塚本さんから電話を貰ったからだ。例によって日曜日なのに朝からせっせと働いてたら「広瀬さん、絶対好きだと思うよ。見ないと後悔するよ。」なんて言われ、嬉しくなってついつい行ってしまう。しかも「エレベーター企画の外輪さんも、ニュートラルの大沢さんも見るよ」なんて誘惑されたら、万難を排して行く。この芝居はフライヤーを見た時から「かなり好きかも」なんて思っていたから実は渡りに舟だった。(おかげで、1本別の芝居がとんでしまったが仕方ない)

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