毎年この時期に唐十郎はやって来る。恒例の紅テントでの旅興行は、昔懐かしのジュール・ヴェルヌ『海底二万哩』を原案にして、ネモ船長が主人公の大冒険活劇なのか、と思わせといて、実はとても小さな話を大きな展開もなく見せていく。
75本の白いスラックスを持ち逃げしたネモ(稲荷卓央)と、彼を追いかけて、それを取り戻そうとする衿月(鳥山昌克)の話を中心にして、この吹き溜まりに集まってくる、いずれも訳有りの男女が織り成す物語にすらならないようなささいな出来事が、細切れに描かれていく。それらが気付けば、1本の大きな話になっていく、というのは、いつもの唐十郎のやり方である。
安心してこの空間に身を浸して、2時間楽しんでいればいいのだが、今回はなぜか、いつも以上にあっさりしていて、芝居も地味になっている。ネモを主人公にした大活劇を想像していたのに、いつまでたっても冒険は始まらないし、ノーチラス号が出帆する気配すらない。(ノーチラス号は潜水艦なんで、出帆はしませんが)
旧型ミシンをコンパクトな卓上ミシンに変えてノーチラス号に乗り込むミシン(藤井由紀)とネモはいったい何を求めて何処に旅立とうとしたのか。屋台を改造した動く紳士服屋と化したノーチラス号で行商を再開すること。そこに込められた想い。伝わりそうで伝わらないもどかしさを感じた。
これはひたすら停滞し続けていく芝居である。この同じ場所をグルグルまわっていくだけで、ストーリーは全く前に進んでいかない。なのにイライラするわけではないのは、唐十郎の語り口の上手さなのだが、それに騙されて、これを心地よい芝居と勘違いしてはならない。
海底を潜行していくノーチラス号に象徴させ、ここに集う奇怪な人々もまた、この社会に潜み、苛立ちながらも、あきらめ、それでもこの時代を静かに生き延びていこうとする。
今回、唐十郎の幻想世界は外に広がっていくでもなく、内に内にと潜行していく。ラストの屋台崩しもお約束だからやっているだけであり、別に舞台の中央が開いて現実の精華小学校のグランドに彼らが出て行かなくてもいい。そんな必然性はないからだ。
ネモは退職金を敢えて拒否して、75本のスラックスを持ち逃げすることで、本来自分のいるべき場所である会社と仕事にこだわり続ける。会社を拒否して自由人として生きるのではなく、社会の枠の中で地道に生きていくことを彼は望む。しかし、それすら不可能な時代の中で、彼はせめて商品を手に行商に出ることで生きている実感を摑もうとする。
企業や社会に所属して、地道にひっそりと一生を終えていきたいと望む庶民の願いすら叶えられない時代の中で、いったい我々はどこに向かっていくのだろうか。
大阪の中心地に忽然と姿を現した幻のような紅テントを出て、ゴールデン・ウィークに浮かれる人々の波を掻い潜って家路を辿りながら、とても寂しい気持ちになった。
75本の白いスラックスを持ち逃げしたネモ(稲荷卓央)と、彼を追いかけて、それを取り戻そうとする衿月(鳥山昌克)の話を中心にして、この吹き溜まりに集まってくる、いずれも訳有りの男女が織り成す物語にすらならないようなささいな出来事が、細切れに描かれていく。それらが気付けば、1本の大きな話になっていく、というのは、いつもの唐十郎のやり方である。
安心してこの空間に身を浸して、2時間楽しんでいればいいのだが、今回はなぜか、いつも以上にあっさりしていて、芝居も地味になっている。ネモを主人公にした大活劇を想像していたのに、いつまでたっても冒険は始まらないし、ノーチラス号が出帆する気配すらない。(ノーチラス号は潜水艦なんで、出帆はしませんが)
旧型ミシンをコンパクトな卓上ミシンに変えてノーチラス号に乗り込むミシン(藤井由紀)とネモはいったい何を求めて何処に旅立とうとしたのか。屋台を改造した動く紳士服屋と化したノーチラス号で行商を再開すること。そこに込められた想い。伝わりそうで伝わらないもどかしさを感じた。
これはひたすら停滞し続けていく芝居である。この同じ場所をグルグルまわっていくだけで、ストーリーは全く前に進んでいかない。なのにイライラするわけではないのは、唐十郎の語り口の上手さなのだが、それに騙されて、これを心地よい芝居と勘違いしてはならない。
海底を潜行していくノーチラス号に象徴させ、ここに集う奇怪な人々もまた、この社会に潜み、苛立ちながらも、あきらめ、それでもこの時代を静かに生き延びていこうとする。
今回、唐十郎の幻想世界は外に広がっていくでもなく、内に内にと潜行していく。ラストの屋台崩しもお約束だからやっているだけであり、別に舞台の中央が開いて現実の精華小学校のグランドに彼らが出て行かなくてもいい。そんな必然性はないからだ。
ネモは退職金を敢えて拒否して、75本のスラックスを持ち逃げすることで、本来自分のいるべき場所である会社と仕事にこだわり続ける。会社を拒否して自由人として生きるのではなく、社会の枠の中で地道に生きていくことを彼は望む。しかし、それすら不可能な時代の中で、彼はせめて商品を手に行商に出ることで生きている実感を摑もうとする。
企業や社会に所属して、地道にひっそりと一生を終えていきたいと望む庶民の願いすら叶えられない時代の中で、いったい我々はどこに向かっていくのだろうか。
大阪の中心地に忽然と姿を現した幻のような紅テントを出て、ゴールデン・ウィークに浮かれる人々の波を掻い潜って家路を辿りながら、とても寂しい気持ちになった。