「日本映画界のレジェンド、降旗康男と木村大作の9年ぶりのコンビ作」なんていう宣伝がなされる。そんな時代が来たのか、と感慨に耽る。彼ら2人と高倉健がチームを組み、いくつもの映画が作られた。健さん亡き今、若い岡田准一を迎えて往年の日本映画に挑む。岡田准一が21世紀の「健さん」になれるか、というと、さすがに荷が重い。伝説は受け継ぐものではなく、作られるものだ。
オーソドックスな日本映画というよりも、古くさい映画、というほうがわかりやすい。今の時代にこんな映画が作られることはない。70年代までの映画を意図的に再現したわけではない。彼らはこれを今の映画として作ろうとしたのだろう。とんでもなく時代錯誤だ。『砂の器』の時代でしか成り立たないくらいに。
3人の友情と、事件の後の別れ。あれから30年の歳月が流れ、たまたま再会する。そこにタイミングを合わせたように不幸な事件が起きる。誰が彼を殺したのか。封印された過去が暴かれるのか。
これは一応ミステリーなのだろう。だが、それにしてはお話に不備がありすぎた。肝心の犯人を巡るドラマがまるで欠落したまま、いきなりの犯人逮捕で終わるのはおかしい。しかも、そこが映画の核心とはすれ違うのだから、何をか況んや、である。1時間39分という異常に短い上映時間に危惧したが、そんな不安は的中する。あと20分あれば、ちゃんと描けたのかもしれない。これでは、あっけないほどに、中途半端なのだ。
彼らの抱える心の闇が描ききれないまま、終わりを迎える。「家族の絆を描く」というのなら、まぁ、それはそれでいいから、せめて、ちゃんと描ききって欲しい。古くさい話でもいいから、納得のいく映画にしなくては意味が無い。岡田准一も小栗旬もとても頑張っている。全力で先輩たちの胸を借りているのだから、大人たちは妥協することなく、アナクロ映画の王道を行くべきなのだ。必要以上の音楽で盛り上げるのもわざとらしくて、恥ずかしい。