白石和彌監督がこの映画をどう作るか、それがとても楽しみだった。今の時代にヤクザ映画である。ありえない。だからそれをありえさせた時何が起こるのか、ドキドキするではないか。しかも3年前の前作は過激で挑発的だった。もちろんあれくらいしないと今の時代にヤクザ映画を作り意味はない、とも思う。主人公の刑事を演じた役所広司も素晴らしかった。ただ、映画の終盤で彼が死んだところから主役は松坂桃李に引き継がれるが、そこから映画はあきらかに減速した。役所が映画をひとりで引っ張っていたことは明らかだ。それだけに松坂が単独主演となる本作はよほどの覚悟で挑まなくては成功はない。映画は結果的に群像劇になった。役所の不在を松坂ひとりで担うことはできない。だが狂犬鈴木亮平が見事にこの映画をリードする。
ふたりの対決に周囲の様々な思惑や行動が絡んできて2時間19分に及ぶ長尺映画になった。ただ、お話が単純すぎて、後半退屈してくる。松坂の力演とそれを受け止める、というより彼だけではなくすべてを飲み込む鈴木の狂った姿が映画の魅力なのだが、それだけでは飽きてくる。あと少しお話に仕掛けが欲しい。
これだけでは予定調和で単調すぎる。警察組織の陰謀が絡んできて、松坂や鈴木も踊らされていただけ、ということが明らかになっても、それがどうした、としか思えないのはつらい。今まで散々そういう映画は見てきたから、もっと仕掛けが欲しい。これでは明らかに『県警対組織暴力』だし、前作の『仁義なき戦い』に対する今回は『仁義なき戦い 広島死闘篇』というテキストをどう乗り切るかが大きな課題だったはず。偉大な先輩深作欣二をどう乗り越えるかという大きな課題を前提にしたこの作品は最初から負け戦だ。今の時代にどれだけ頑張ってもあれ以上のヤクザ映画は作れない。何百本(さすがに劇場用映画ではもう作られないけど、今でもヤクザ映画はオリジナルDVD映画では量産されているはずだ)と作られたこの手の映画の1本だって乗り越えられなかったレベルを目指したはずなのだが、残念だが討ち死にしている。
巨大な組織の下でたったひとりの刑事はあまりに小さな存在でしかない。だが、彼が自分ならやれると思い、この3年間ちゃんと先輩の後を受け継いでやってきたという自負が崩れ去るドラマを、この映画が松坂の視点からちゃんと描き切れたならよかったのだが、群像劇にすることで彼の苦悩がおざなりになり、映画の完成度は薄まる。ありきたりの展開に埋もれて、本来これが何の話だったのか、わからなくなるのがつらい。クライマックスのふたりの凄まじい対決が、これではどこにもつながらない。