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映画・演劇のレビュー

原宏一『ファイヤーボール』

2012-03-18 19:44:39 | その他
最初はなかなか面白かったのだが、肝心の祭りのシーンになると、急につまらなくなる。本当ならこのクライマックスが血湧き肉踊る、でなくてはならないはずなのに、そこがなんだか消化試合のようなのだ。そりゃぁ、これはそこに至るまでのドラマであるということは、わかっている。だが、このクライマックスですべてが爆発してカタルシスを感じれなくては、尻すぼみだ。「ただ楽しいからやる!」という、純粋でバカバカしいことに夢中になるという行為を頭では理解できても、それを体でちゃんと実感させてくれなくては、この小説の意義は半減する。でも、これは映画ではないから、視覚的には表現し辛いのだろう。小説として、その躍動感を書くのは難しかったのか。

 それまでは仕事一筋で、出世街道をひた走り、家族も顧みず頑張ってきたのに、社内での派閥抗争に巻き込まれて、その力関係から、リストラされたサラリーマンが、たまたま町内会の役員になり、村祭りをすることになる。冗談のつもりで企画した「火祭り」が、採用され、自分を中心にして実現させることになるという顛末が、描かれる。もちろん、そんな単純な話ではないのだが、でも、結局は、「やる気のなかった人間が、必死に何かに打ち込み、そこに生きがいを見出していく」というよくあるパターンなのだ。

 このありきたりな展開にどれだけ説得力をもたせれるのかが、作者の腕の見せ所なのだが、今回こういう巻き込まれ型の定番から、ほんの少しバリエーションを持つことが可能だったのは、「町内会」という組織を描くというアプローチが珍しかったからだ。だが、そこも勧善懲悪のパターンを下敷きにしたから、中途半端になる。リアルな話でどんどん引っ張ってくれたなら、もっと面白かったのだが、原宏一は、どうしても作り方が甘い。発想の面白さを、ただの中間小説の次元にとどめるから、読後の印象はあまりよくない。「あぁ、おもしろかったな」で終わり。これでは心には残らないのだ。

 先日の萩原浩『幸せになるための100通りの方法』もそうだったのだが、ドラマが、風俗の表層を軽くなぞるだけでは、読んでもそれだけでしかない。感動できない。もう少し血の通った人間を描いてもらいたい。せっかく面白い発想で、魅力的なドラマを作れているのだから、あと少しなんとか出来ないものなのか。これでは読んでいてもったいない、と思う。ここまでやれるのなら、もう一押しではないか。このレベルでは、「なんか、作者の志が低い」と言わざる得ない。


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