最後に収められたタイトルにもなっている短編がすごくいい。松田青子の世界が読んでいる僕を包み込む。このタイトル通りのなんだか微妙な感じが、心地よい。男の子になりたいのではなく、男の子になりたいと思う女の子が好き。『恋しくて』のメアリー・スチュアート・マスターソン。そういうことかぁ、と納得する。ここに象徴される感覚がこの短編集全体にはある。不思議な感触で日常や非日常の風景が同じように綴られていく。そこには、大差ないやん、と思う。
『クレペリン検査はクレペリン検査の夢を見る』や『向かい合わせの二つの部屋』が白眉だ。どちらも「自分」と同じような「誰か」が出てくる。面接会場で一緒だったふたり。向かい合わせの部屋に住む同じ名前の人。他人だけど、もしかしたら、もう一人の自分かもしれない存在。有り得たかもしれない自分。今ある自分が偶然なら、有り得たかもしれない自分も現実。
『誰のものでもない帽子』もいい。コロナ禍を背景にして家出した母親と赤ん坊のホテル暮らしの数日間をリアルタイムで切り取っている。この先どうなるのか、ではなくこの瞬間の想いを丁寧にドキュメントしていく姿勢がいい。