西川美和監督の第4作。結婚詐欺の話なのだが、コメディーではない。シリアスで見せていくから、かなりきつい。主人公の夫婦を松たか子と阿部サダヲが演じる。計画を立てるのは妻のほうで、詐欺を行うのは夫のほう。反対のほうが上手くいきそうに見えるのだが、実際は美人の女より、別に男前ではなくどちらかというと風采があがらない男のほうが、うまくいくのかもしれない。だから、これで正解なのだろう。情けない男を正直に演じるから女たちは信じる。自分がいなければこの男は誰からも相手にされないのではないか、と思わせるところがいい。
まじめに頑張り、こつこつ努力して、なんとか店を出した。2人で、小料理屋を営んでいた。たいへんだったが、開店から5年、なんとか軌道に乗っていた。だが、小火を出してしまい、店を閉めなくてはならなくなる。失意の男は、たまたま終電を逃した酔っ払いの女性を介抱し、自分の現状を包み隠さず話したところ、彼女からお金をもらうこととなる。いろんな偶然が重なっただけなのだが。
それから2人は、そのことに味をしめ、もう一度店を始める資金を作るために、結婚詐欺を重ねることとなる。その先の話はいくらなんでも、都合よく行きすぎだ、と思うが、これはこれで都会のメルヘンとして、抵抗なく見ることができる。うそ臭い作り方ではなく、丁寧に見せるから、ありえないわけでもないか、と思ってみることになる。だが、こんなこと、いつまでも続くはずはない。当然どこかでほころびが出来てくる。
映画はだまされるひとりひとりの女たちの問題もちゃんと掬い取る。この都会の片隅でひそやかに生きる人たちの群像劇にもなっている。誰だって一生懸命誠実に生きようとしている。でも、なかなかうまくはいかない。悪いやつはいない。貧しいけど、ちゃんと生きている。2人は、詐欺行為を繰り返すが、人を傷つけるわけではない。さびしい女たちにお金と引き換えに夢を売るのだ。これまで感謝されても訴えられることはなかった。そんなふうにうまく立ち回るからだ。だが、詐欺は当然、犯罪だ。そして当然のカタストロフが訪れる。
嘘の先に作られた夢なんて、本当の夢ではない。たとえそれが現実になろうとも虚しいばかりだ。再びすべてを失い、別々の場所で生きることになった2人の姿を見せるラストはとても侘しい。だが、それでもなんとなくすがすがしい。
それにしても、何より松たか子。彼女の凄さに圧倒される。これは理屈ではない。自分の夫を他の女に当てがい、平然としている。冷血漢ではない。お金のためですらない。彼女の中にある嫉妬や、憎悪。自分で仕掛けながら、自分が一番傷ついている。でも、そんなそぶりも見せない。その冷静さが怖い。その姿は不気味なほどだ。
まじめに頑張り、こつこつ努力して、なんとか店を出した。2人で、小料理屋を営んでいた。たいへんだったが、開店から5年、なんとか軌道に乗っていた。だが、小火を出してしまい、店を閉めなくてはならなくなる。失意の男は、たまたま終電を逃した酔っ払いの女性を介抱し、自分の現状を包み隠さず話したところ、彼女からお金をもらうこととなる。いろんな偶然が重なっただけなのだが。
それから2人は、そのことに味をしめ、もう一度店を始める資金を作るために、結婚詐欺を重ねることとなる。その先の話はいくらなんでも、都合よく行きすぎだ、と思うが、これはこれで都会のメルヘンとして、抵抗なく見ることができる。うそ臭い作り方ではなく、丁寧に見せるから、ありえないわけでもないか、と思ってみることになる。だが、こんなこと、いつまでも続くはずはない。当然どこかでほころびが出来てくる。
映画はだまされるひとりひとりの女たちの問題もちゃんと掬い取る。この都会の片隅でひそやかに生きる人たちの群像劇にもなっている。誰だって一生懸命誠実に生きようとしている。でも、なかなかうまくはいかない。悪いやつはいない。貧しいけど、ちゃんと生きている。2人は、詐欺行為を繰り返すが、人を傷つけるわけではない。さびしい女たちにお金と引き換えに夢を売るのだ。これまで感謝されても訴えられることはなかった。そんなふうにうまく立ち回るからだ。だが、詐欺は当然、犯罪だ。そして当然のカタストロフが訪れる。
嘘の先に作られた夢なんて、本当の夢ではない。たとえそれが現実になろうとも虚しいばかりだ。再びすべてを失い、別々の場所で生きることになった2人の姿を見せるラストはとても侘しい。だが、それでもなんとなくすがすがしい。
それにしても、何より松たか子。彼女の凄さに圧倒される。これは理屈ではない。自分の夫を他の女に当てがい、平然としている。冷血漢ではない。お金のためですらない。彼女の中にある嫉妬や、憎悪。自分で仕掛けながら、自分が一番傷ついている。でも、そんなそぶりも見せない。その冷静さが怖い。その姿は不気味なほどだ。