綾瀬まる「4年ぶり書下ろし長編」と本の帯にはある。そうなんだ、と思う。頻繁に新作を連発しているような印象があったので意外だった。先日の畑野智美の新作(10周年記念作品と帯にあったやつ)もたしか4年ぶりだったような。しばらく書けなかったか、書かなかったか。でも、今までの作品とは少しタッチが違う。これは彼女の新境地だ。
結婚から3年目の現在からお話は始まる。ふたりの付き合いは10代からスタートしている。すぐに中学時代、ふたりが出会い付き合い始めたころが回顧され描かれる。そして、今結婚から3年の現在。今と過去が交互に描かれて行きながらお話は展開していく。子供が生まれ、義父が亡くなり、子供が成長し、自分たちが年をとる。まさかの勢いで月日が流れる。
68歳で亡くなった義父と、生まれたばかりの息子の成長の過程がお話のスタート地点。死と生。高校卒業後の別れ、再会した後の付き合い。初めてのセックス。同時に今の時間が加速度をつけて進行していく。幼い日の息子との日々、夫は優しいけど、徐々に違和感を抱くようになる。やがて息子は20歳になり、家を出ていく。夫婦二人の生活になる。30代、40代。そして50代になる。なんとお話は終盤には2030年代、ふたりは70代に突入する。
これはこのふたりの夫婦の人生そのもののスケッチなのだ。海に向かうラストは彼らのスタートと呼応する。夫は幼い日母を失う。死んだのではなく、彼を置いたまま出て行ったのだ。まだ幼い日、母親を探して小さな旅に出た日。母親には会わず、海も見れず、父だけのいる家に帰ったこと。結婚して、息子が生まれて、息子の成長を見守り、生きてきた。彼女と出会い、夫婦になり、年老いた今、感じること。
妻の視点から描かれる彼らの人生の軌跡は、彼女の夫への嫌悪感と向き合うことで、展開する。スイミングスクールをやめたいと、幼い日に息子が言ったとき、「逃げるのか」と返した夫の言葉。少しずつ、広がる二人の間の溝。だが決定的な決別は起きない。我慢するのではない。40歳の時の夫の失業が起点となる。彼女は転職の機会を失う。自分の人生なのに、夫や息子に流されて、諦める。家族で生きるというのはそういうことなのか、とも思う。でも、そうじゃないことは自分自身が一番よく知っている。逃げたのは誰なのか、息子でも夫でもなく、自分自身なのかもしれない。
ふたりで生きることの意味。他人同士が人生を共に過ごし、死んでいく。ここにはそんな日々の点描が確かにある。コロナ禍の現在からさらにその先へと。人生は続く。「私も海に飛び込みたい。あの人を連れて、」と書かれるラストが眩しい。