今年最後にこれだけは見ておきたいと思った。3時間29分の超大作である。NETFLIXの提供なので、小規模の劇場で充分な宣伝もなくひそかに上映されている。大阪ではシネリーブル梅田で1日1回上映のみ。でも、映画ファンなら誰もが知っている今年一番の問題作であろう。
ただ、期待が大きすぎたからだろうか、僕には少しがっかりな作品だった。70年代、10代のころ、リアルタイムで『タクシードライバー』を見た世代としては、この映画は確かに感慨深い。スコセッシが今どうしてもこれを撮りたいと思った気持ちもわからないでもない。だけど、今、これにあの衝撃を期待したのは間違いだった。今のスコセッシがここからは見えてこない。僕だってとうとう60代に突入して、なんだか人生の晩年に入ってしまったような感慨はないわけではないけど、この映画のテンポと内容のゆるさはしっくりこなかった。
特にアル・パチーノとデ・ニーロが向き合い、友情を抱きあい、そして別れていく、というドラマが胸に沁みてこなかったのは、反対の意味で悲しかった。そこでちゃんとこの映画に嵌ったなら、たぶん、「これは凄い映画だ」と言えたはず、なのに。(いや、果たしてそうか?)
デ・ニーロの孤独が伝わらない。たったひとりの友人を自らの手で殺して、そしてそれを心に秘めたまま、誰にも語らず、老いを迎える。80近くなり、施設で暮らす老人の胸に去来するものは、何なのか。彼が生きた時代を、彼自身は今どう受け止めるのか。ジョー・ペシに導かれてギャングの道に足を踏み入れた。そこでたくさんの人を殺し、最後には唯一の親友であるアル・パチーノをも殺していく。だが、彼は非情な男ではなく、生きていくために必要なことをしただけなのだ。そんな男を娘は認めない。彼女の視点はとても刺激的でいいのだけど、そこからはそれ以上のものは提示されない。
マーティン・スコセッシ監督が晩年に自分の人生の総決算としてこれを作ったというのなら、それを僕は敢えて否定しよう。こちろんこれを「懐古趣味の映画だ」というつもりは毛頭ない。そうじゃないことは見ればわかる。だけど、トラヴィスの狂気がこのノスタルジックな感傷に封じ込めらるのは嫌だ。
先日『ジョーカー』を見たとき、これは『タクシードライバー』へのオマージュだと思った。70年代のニューヨークを近未来のゴッサムシティとして再現し、この世界の「その先」を描こうとした。あれは実にいい映画だった。
それだけに、この『アイリッシュマン』も、そうであって欲しかった。デ・ニーロの『タクシードライバー』とパチーノの『セルピコ』を見て高校生だった僕が感じた恐怖。これが「その先」を提示してくれると信じたのに。そうではなかったのがとても残念だ。