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こんな小説が読みたかった。ここには特別な出来事なんか何もない。退屈な日常が淡々と描かれるばかりだ。なのに、このどうでもいいことが、こんなにも心に沁みてくる。この作品とほぼ同時に刊行された『小松とうさちゃん』も素晴らしかったけど、あれはなんとなく今までも見たことにあるようなハートウォーミングでそれほどは驚かない。でも、これは違う。
実に大胆なのだ。なんにもない男が、ただなんとなく生きている姿が描かれる。人によっては「こんなつまらない小説ないよ、」というようなものだ。だって、ドラマチックでもないし、お話らしいお話もない。将来神主だか住職だかになる運命にある(要するにお寺を継ぐ、いや神社だったかも)から、就職しない。でも、小さな寺でそれだけでは生活できないから、兼業住職になるしかない。じゃぁ、もうひとつの仕事は何をするか。キャベツ農家で出稼ぎしているけど、寄る年波には勝てず、もっと楽な仕事をしたい。もういい年だから結婚もしなくてはなるまい、とは思うけど、好きな女はいない。女がいないのではない。つきあうけど、すぐに飽きる。そこまで執着しない。それは仕事も同じだ。なんだか、煮え切らない男。舞台となるのは高崎とか前橋とか、なんだか微妙な場所。都会でもなく、田舎でもなく、でも、田舎だわ、たぶん。行ったことないし、よくは知らないけど確かに地方都市であることは事実だ。そんなとこで暮らす男。
実に微妙なドラマが静かに描かれる。なにもない、というと、そうだなぁ、と思う。でも、生きていたら日々なにかはある。高校の後輩の女と再会したり、東京から移住してきた木工職人鹿谷さんのところに入り浸ったり(そこは、なんだかサロンになっている)、なんだかんだ。その女が鹿谷さんと付き合っていることで、なんか不愉快になったり。でも、その女が好きとかでは、全然なく。
なんだか、よくわからないのは、僕ではなく、彼自身で、僕は読みながら、なんだか、とてもおもしろいと思っている。こんなに見事に何もないことが興味深く描かれていくことに興奮する。これはどうなるのか、ではなく、きっとこれはどうにもならないまま、なんとなく終わるよな、と思いつつ最後まで読む。そして、予想通り何にもならない。火事のシーンから一気にもうどうでもよくなる。みんなこんな不安を抱えて生きている。どうしたいいのか、わからないまま、なんとなく生きていくしかない。