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映画・演劇のレビュー

Gフォレスタ『そして誰もいなくなった』

2022-06-30 18:40:50 | 演劇

言わずと知れたアガサ・クリスティの名作小説の舞台化。アガサ本人により戯曲化されたテキストを使う。総勢11名に及ぶキャストが事件と向き合う堂々たる大作だ。そういえば劇団往来が一昨年同じくアガサ・クリスティの『ナイル殺人事件』を上演したが、あの作品には乗り切れなかったことを思い出す。笑いとシリアスのバランスが悪く、全体の構成にも破綻があった。往来らしいテイストが本格ミステリとうまく溶け合わなかったことが原因だ。あれも堂々たる作品だったのだが、芝居に乗り切れなくて悔しい思いをした。さて今回のGフォレスタによるチャレンジは、どういうふうになったのか。

2部構成、2時間20分に及ぶ長尺だが、長さを感じさせない。閉じ込められた孤島で、ここに集められた10人のひとりずつが死んでいき、疑心暗鬼の残された面々がお互いの腹を探りあう。だが、そこには犯人捜しという側面でのドキドキはない。というか、僕が鈍いから犯人の目星を立てられないのだ。誰もが怪しいけど、アリバイがある、とか、誰が犯人なのか、というような謎解きの面白さはここからは感じられないし、推理できない。でも、お話自身は面白いから、舞台から目が離せないし、飽きさせない。個々のキャラクターが明確に描き分けられており、そのひとりひとりの行動、言動を見守ることになる。だからラストまで緊張が持続する。推理劇ではなく人間ドラマとして、このお話が機能する。

こういう娯楽大作を小劇場で見るのは久しぶりだ。殺人鬼は誰なのか。なぜ、こんなことをするのか。お話はどこに行きつくのか。誰もいなくなるはずだったのに、そうはならない結末に救われる。この屋敷のリビングルームだけを舞台にしてお話を完結させるという意味では、往来の『ナイル殺人事件』も同じチャレンジだった。この設定と展開で緊張感の持続を可能にさせるのはストーリーテリングの妙が前提だろう。役者のひとりひとりがどれだけリアルで説得力を持つのかが作品の成否につながる。そして演出は(もちろん丸尾拓)はうまく人物を配置して裁いた。この群像劇はアンサンブルプレーだ。特定の誰かだけが突出してはならないし、へこんでもならない。10人(プラス1名)が、持ち場をきちんとこなしたとき、はじめて成立する。安定していて実に良質な作品に仕上がっている。


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