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映画・演劇のレビュー

うさぎの喘ギ『はらただしさ』

2022-06-30 18:04:49 | 演劇

タイトルは「はらだたしさ」ではない。「はらただしさ」だ。要するに「腹立たしさ」ではなく「腹正しさ」なのだが、そこに何を込めたのか。これはあきらかに読み間違いを誘因する。ここに生じる「正しさ」とは何か。それを考察する芝居なのか。

客席は四方囲み舞台。中央で演じられるのだが、一方向だけ椅子が5つ並べてある。気づくと、そこに5人が座っている。同じようなTシャツ姿だ。僕は最初、まるで気づかなかった。それどころか、あそこの席のほうが見やすそうだし、椅子と椅子の間がそれなりに空いているからそこに座りなおそうかと思ったくらいだ。でも、5人が座りきったとき、この人たちは役者なのだとようやく気づく。マスクをはずして、ひとりがまず中央のアクティングエリアに移動する。

芝居が始まる。役者同士には距離がある。なのに、役者と観客の間には距離がない。役者が目の前にいる観客の目を見つめる。明らかに特定の観客と目が合う。でも挑発するわけではない。ピンポイントで見つめる。ものすごく近い。その状態で台詞を話す。観客は目を逸らすしかない。もちろん客いじりをしているのでもない。観客と問答するはずもない。一方的に熱く語る。その観客に語っているわけではない。

5人が順次舞台に出て、話し出すのだが、会話劇ではない。どことも知れない虚空に向けて言葉を放つ。「そうそう、わたしがいいたかったのは、こういうことだったんだ」と一人語り。台詞は何度となく繰り返される。5人の間にコミュニケーションは成り立たないし、その気もない。「そうそう」と言いつつも、そこには共感も生じない。SNS上でのやりとり、中身のない会話にすらならないもの。ラインでのやり取りの不気味さ。スタンプすら言葉で描かれる。(映像の提示はないからね)無機的な会話と同列のスタンプがある。不毛な会話以前の言葉が飛び交う。1時間の無表情。無意味。舞台中央のマイクを握りしめて語り出すこともあるが、それも同じこと。なんでもない。

この作品はいったいどこに行きつくのか。気になる。でも、明確な答えもなく1時間の芝居が静かなままで終わる。観客は(というか、僕は)呆然とする。


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