毎回まるで傾向の違う作品に挑戦するしまひろみち演出作品第3作。3年目の今年は目黒、中学生両親祖母殺害事件に想を得た古川健の2014年作品を取り上げた。こういう社会派作品を初めて手掛ける。昨年の『定年ゴジラ』での手ざわりに近いものを感じた。これがしまさんの持つ感触なのだろう。彼の優しさはこの作品に於いても遺憾なく発揮される。家族劇である。壊れそうになった家族の絆を何とかして繋ぎ止めたい。不可能かもしれないけど、最後まで諦めたくはない。そんな彼の想いが作品からしっかりと伝わってくる。
息子はなぜ、両親と祖母を殺したのか。祖母が甘やかしたから悪いとか、母親の弱さが彼をダメにしたとか、わかりやすい説明ならいくらでも出来る。祖父の無関心や、父親の戸惑い。どこかに意味を、理由を設定して安心することは簡単だ。しかし、そんなことにはなんの意味もないことはわかりきっている。
事件から3年後、彼が少年院を退院して、帰って来ることになるのだが、祖父は拒否する。もう家族ではない。会いたくもない。祖父の側からのドラマがあるわけではない。では、少年の側からのドラマがあるのか、というとそうでもない。彼らの間に横たわる溝。そこに死んでしまった3人がやって来る。彼らは優しい。決して少年をなじったりはしない。だが、少年は受け付けない。死んでしまった3人の好意を拒絶する。
何が彼をして、そういう行為に駆り立てたのか。駆り立てるのか。事件はまだ終わってはいない。さらには、祖父は少年からの手紙を受け取り、ショックを受ける。そこには何も書かれていない。当たり障りのない言葉。まるで心には届かない。それって何なのだ、と思う。反対に気になる。拒絶していたはずなのに、会いに行く。真意を問いたい。
実に興味深い作品だ。このどうしようのない断絶。わかりあえないし、わかろうともしない。にもかかわらず、それでも、何かを共有する。家族とは何なのか。この反語的な甘いタイトルとは裏腹に、ここには確固とした断絶がある。そこを優しさで包んで描こうとしても意味がない。だが、しまさんはそれをしようとする。無謀だ。作品としては破綻している。台本自体がそうなのではないか、と思うが、演出もまた、それを助長する。もっと冷たい作品にするべきではないか、とも思う。作者の意図も見えにくい。演出の意図は明確だ。それはそれで潔い。
息子はなぜ、両親と祖母を殺したのか。祖母が甘やかしたから悪いとか、母親の弱さが彼をダメにしたとか、わかりやすい説明ならいくらでも出来る。祖父の無関心や、父親の戸惑い。どこかに意味を、理由を設定して安心することは簡単だ。しかし、そんなことにはなんの意味もないことはわかりきっている。
事件から3年後、彼が少年院を退院して、帰って来ることになるのだが、祖父は拒否する。もう家族ではない。会いたくもない。祖父の側からのドラマがあるわけではない。では、少年の側からのドラマがあるのか、というとそうでもない。彼らの間に横たわる溝。そこに死んでしまった3人がやって来る。彼らは優しい。決して少年をなじったりはしない。だが、少年は受け付けない。死んでしまった3人の好意を拒絶する。
何が彼をして、そういう行為に駆り立てたのか。駆り立てるのか。事件はまだ終わってはいない。さらには、祖父は少年からの手紙を受け取り、ショックを受ける。そこには何も書かれていない。当たり障りのない言葉。まるで心には届かない。それって何なのだ、と思う。反対に気になる。拒絶していたはずなのに、会いに行く。真意を問いたい。
実に興味深い作品だ。このどうしようのない断絶。わかりあえないし、わかろうともしない。にもかかわらず、それでも、何かを共有する。家族とは何なのか。この反語的な甘いタイトルとは裏腹に、ここには確固とした断絶がある。そこを優しさで包んで描こうとしても意味がない。だが、しまさんはそれをしようとする。無謀だ。作品としては破綻している。台本自体がそうなのではないか、と思うが、演出もまた、それを助長する。もっと冷たい作品にするべきではないか、とも思う。作者の意図も見えにくい。演出の意図は明確だ。それはそれで潔い。