いつものタッチだから、戸惑わない。淡々とした日々のスケッチが、まるで日記のように描かれていく。今回は3人の30代になったばかりの女性たちが主人公だ。友達であるこの3人のそれぞれの出来事が、淡々と綴られていく。人間関係とかがわからないから、最初は読みにくい。でも、そこを我慢して読んでいくうちに、相互の関係性が頭に入ってきて、ドラマは立ち上がる。わかりやすい解説なんか、彼女はしない。いつものことだ。
ひとりは、3人の子供を抱えて、雑貨屋を開店し、がんばる。もうひとりは、学校事務の仕事をしながら、4歳年下の役者志望の青年と同棲している。さらに、もうひとりは、母親、祖母と同居しながら、イラストレーターの仕事でがんばる。ステレオタイプぎりぎりで3人の描きわけをしている。3つのパターンのどれかにきっと誰もが当てはまる。同時にその誰にも当てはまらない。そんな微妙なラインで人物造形がなされる。柴崎さんの独壇場だ。
1年間の話だ。3月から始まり翌年の2月まで。12話からなる話ではなく、11話。この微妙さが心憎い。なぜか、1月だけとばす。それぞれの月のある一日をピックアップする。もちろんそこは無作為抽出だ。その日である必然性なんかない。特別なドラマは反対に避けているのではないか、と思うくらいに、それぞれの一日には、特徴がない(ように見せる)。
もちろん話を展開させるためのポイントははずせないから、ちゃんと描かれてある。だから、無作為抽出なんて嘘だ。だが、そう思わせるくらいに、さりげない。念願の雑貨屋を開店させたところから、たった1年で店を閉めなくてはならなくなるまでの話である。1年あれば、人生にはそこそこのドラマがある。そんなふうに思わせる。まぁ、そんなふうに思わせるくらいに留めてある。ここが彼女たちの人生の転機である、なんて言わない。そんな気もするけど、そうじゃない気もする。その程度にとどめてある。いつもながら、上手い。
ただなんとなく生きている。でも、その中でがんばっている。当たり前のことがこんなにも愛おしい。3人の女性の生活のスケッチを覗き見させてもらう。そして、元気をもらう。これはそんな小説だ。
ひとりは、3人の子供を抱えて、雑貨屋を開店し、がんばる。もうひとりは、学校事務の仕事をしながら、4歳年下の役者志望の青年と同棲している。さらに、もうひとりは、母親、祖母と同居しながら、イラストレーターの仕事でがんばる。ステレオタイプぎりぎりで3人の描きわけをしている。3つのパターンのどれかにきっと誰もが当てはまる。同時にその誰にも当てはまらない。そんな微妙なラインで人物造形がなされる。柴崎さんの独壇場だ。
1年間の話だ。3月から始まり翌年の2月まで。12話からなる話ではなく、11話。この微妙さが心憎い。なぜか、1月だけとばす。それぞれの月のある一日をピックアップする。もちろんそこは無作為抽出だ。その日である必然性なんかない。特別なドラマは反対に避けているのではないか、と思うくらいに、それぞれの一日には、特徴がない(ように見せる)。
もちろん話を展開させるためのポイントははずせないから、ちゃんと描かれてある。だから、無作為抽出なんて嘘だ。だが、そう思わせるくらいに、さりげない。念願の雑貨屋を開店させたところから、たった1年で店を閉めなくてはならなくなるまでの話である。1年あれば、人生にはそこそこのドラマがある。そんなふうに思わせる。まぁ、そんなふうに思わせるくらいに留めてある。ここが彼女たちの人生の転機である、なんて言わない。そんな気もするけど、そうじゃない気もする。その程度にとどめてある。いつもながら、上手い。
ただなんとなく生きている。でも、その中でがんばっている。当たり前のことがこんなにも愛おしい。3人の女性の生活のスケッチを覗き見させてもらう。そして、元気をもらう。これはそんな小説だ。