先行有料試写会というので見てきた。一刻も早く見たかった映画だ。『無防備』の市井昌秀監督の商業映画デビュー作である。何の準備もなく見た『無防備』にはノックアウトされた。あんな凄い映画を自主製作で作れる才能がいる。しかも、中途半端な習作ではなく、完璧な劇場用作品としても成立するものなのだ。ぴあでグランプリを受賞しただけではなく、プサン国際映画祭でもグランプリを受賞して、たった1作品で世界が認める才能となった。(さらにはベルリン国際でも正式出品された)そんな彼の満を持して放つ新作なのだ。
コメディータッチの内容なのだが、映画はテンションが低い。というか、淡々とした描写でこの特異な主人公の日常を綴る。星野源(ミュージシャンで映画初主演らしい。先日見た『聖☆おにいさん』でも主役のブッダを演っていたけど、あれはアニメなので声だけ)はほとんどセリフがない。まるでしゃべらない。このまま最後までしゃべらないのか、と不安にさせるほどなのだ。(もちろんそんんことはないけど)それだけに、見合いのシーンでの堰を切ったようにしゃべるシーンが強烈だ。
これはラブストーリーである。さえない35歳の役所勤め、無趣味、童貞の男と、目が不自由なお嬢さん(夏帆)が、初めての恋をする。(彼女はもしかしたら、初めてではないかも。そこはわざとぼかされてある)不器用な2人が少しずつ距離をつめていく、と見せかけていきなり暴走する。そのへんが、なんだかすごい。意外な展開に僕たち観客があたふたするほどだ。決して難しい映画ではないのだが、単純でもない。
前作『無防備』同様お話を見せるための描写ではなく、今ある状況を追いかけるための描写なので、映画はストーリーに奉仕しないから、思いもしない展開も可能になる。お決まりの安心できる映画ではなく、どこに向かうのか、わからない不気味さがある。こんなにも分かりやすそうな話なのに、である。というか、こんな話だからこそ、迷走していくのだ。
わかりやすい人間なんかいない。そう思うのはパターンにあてはめて勝手にそう理解する他人だけだ。本人は自分でも何をしているのやらわからず生きている。いきなり部屋のものを叩き壊して暴れるシーンも、そこまでの流れからそうなるのではなく、気持ちが爆発してそうなる。理屈ではない。映画は随所にそんなシーンを孕みながら不穏な空気を漂わせるのだ。こんなにもほのぼのとした内容のように見える映画なのに、である。
松竹映画なんかがプログラムピクチャーとして量産した中にありそうな内容の安全第一の小品のようなパッケージングなのだが、それをこんなにも危険な映画にしてしまう市井監督の資質が商業映画としてのバランスを保ったまま、見事に成立した佳作である。
コメディータッチの内容なのだが、映画はテンションが低い。というか、淡々とした描写でこの特異な主人公の日常を綴る。星野源(ミュージシャンで映画初主演らしい。先日見た『聖☆おにいさん』でも主役のブッダを演っていたけど、あれはアニメなので声だけ)はほとんどセリフがない。まるでしゃべらない。このまま最後までしゃべらないのか、と不安にさせるほどなのだ。(もちろんそんんことはないけど)それだけに、見合いのシーンでの堰を切ったようにしゃべるシーンが強烈だ。
これはラブストーリーである。さえない35歳の役所勤め、無趣味、童貞の男と、目が不自由なお嬢さん(夏帆)が、初めての恋をする。(彼女はもしかしたら、初めてではないかも。そこはわざとぼかされてある)不器用な2人が少しずつ距離をつめていく、と見せかけていきなり暴走する。そのへんが、なんだかすごい。意外な展開に僕たち観客があたふたするほどだ。決して難しい映画ではないのだが、単純でもない。
前作『無防備』同様お話を見せるための描写ではなく、今ある状況を追いかけるための描写なので、映画はストーリーに奉仕しないから、思いもしない展開も可能になる。お決まりの安心できる映画ではなく、どこに向かうのか、わからない不気味さがある。こんなにも分かりやすそうな話なのに、である。というか、こんな話だからこそ、迷走していくのだ。
わかりやすい人間なんかいない。そう思うのはパターンにあてはめて勝手にそう理解する他人だけだ。本人は自分でも何をしているのやらわからず生きている。いきなり部屋のものを叩き壊して暴れるシーンも、そこまでの流れからそうなるのではなく、気持ちが爆発してそうなる。理屈ではない。映画は随所にそんなシーンを孕みながら不穏な空気を漂わせるのだ。こんなにもほのぼのとした内容のように見える映画なのに、である。
松竹映画なんかがプログラムピクチャーとして量産した中にありそうな内容の安全第一の小品のようなパッケージングなのだが、それをこんなにも危険な映画にしてしまう市井監督の資質が商業映画としてのバランスを保ったまま、見事に成立した佳作である。