実に思い切ったことをする。一応は入れ子型の芝居のようになっているようなのだが、これがどこまで劇中劇なのかどうかすら曖昧なまま、話は進んでいくのだ。体裁としては、最初は撮影所を舞台にしたバックステージものとして始まる。ここは倒産寸前の映画会社の撮影所。時代劇専用のスタジオ。でも、もう時代劇なんかどこも作らない。スタ子主演の映画が撮影中。だが、撮影所は閉鎖されることになる。初めての主演映画なのに、中止になんかされてはたまらない。やる気のないスタッフ、キャストをなんとか、奮起させて撮影を再開させようとする。だが、彼女の母親が倒れてしまったという知らせが舞い込む。彼女は地球人ではなく、遥か彼方の惑星から来た。そこに戻る。時代劇がいきなりSFになる。でも、表層的にはただの帰省でしかない。故郷の惑星に戻り、商店街を抜けて、実家にたどり着く。そこからは介護の問題が前面に出る。荒唐無稽お話のはずが、なんだかとてもリアルな現実と向き合うことになる。だが、ここでもシリアスなヒューマンドラマになることなく、なんだか、わけのわからないままに、活劇になるのだ。あくまでも、この芝居はエンタメ・アクションなのだ。
ノーテンキで無茶苦茶な(そう見える)お話が、無邪気を装って、こんなにもリアルで重いテーマを孕みながら、描かれていく。さらには、彼女が帰っていく場所はどこなのか。ステージの上で演じられるお話のどこまでが、本当で、どこからが、空想なのか。それすらも明確ではない。華やかな殺陣で、見せ場を盛り上げるのだが、話はエンタメのようでありながら、実際は深刻な問題を孕む。自由自在に空間はスライドする。しかも、シリアスに展開していくはずの故郷の話ですら、そこには勧善懲悪の戦いのドラマが用意されている。どこをとっかかりにして、何を見ればよいのやら、戸惑うばかりだ。しかし、気にしない。これはあくまでも、エンタメだ。楽しめばいい。
今回の泉寛介さんは、実に自由奔放だ。整合性とか考えない。ただ、心地よく話がスライドしていけばよい。根幹にブレがないから、こういう作劇が可能なのだ。何かが終わっていく中、その先へとお話は突き進む。
ステージの上で、演じられる芝居が重層的な構造となり、ある種の普遍へと還元されていく。田舎から出てきた少女が夢を叶えるために努力し、でも志半ばで、倒れてしまう。それは現実の壁だけではなく、彼女の背景を担う家族の問題も含んでのことだ。勧善懲悪の時代劇のはずが、そんな単純な問題ではない。エンタメ芝居のパッケージングで、われわれが抱えるシリアスな問題を突き詰めていく。
ノーテンキで無茶苦茶な(そう見える)お話が、無邪気を装って、こんなにもリアルで重いテーマを孕みながら、描かれていく。さらには、彼女が帰っていく場所はどこなのか。ステージの上で演じられるお話のどこまでが、本当で、どこからが、空想なのか。それすらも明確ではない。華やかな殺陣で、見せ場を盛り上げるのだが、話はエンタメのようでありながら、実際は深刻な問題を孕む。自由自在に空間はスライドする。しかも、シリアスに展開していくはずの故郷の話ですら、そこには勧善懲悪の戦いのドラマが用意されている。どこをとっかかりにして、何を見ればよいのやら、戸惑うばかりだ。しかし、気にしない。これはあくまでも、エンタメだ。楽しめばいい。
今回の泉寛介さんは、実に自由奔放だ。整合性とか考えない。ただ、心地よく話がスライドしていけばよい。根幹にブレがないから、こういう作劇が可能なのだ。何かが終わっていく中、その先へとお話は突き進む。
ステージの上で、演じられる芝居が重層的な構造となり、ある種の普遍へと還元されていく。田舎から出てきた少女が夢を叶えるために努力し、でも志半ばで、倒れてしまう。それは現実の壁だけではなく、彼女の背景を担う家族の問題も含んでのことだ。勧善懲悪の時代劇のはずが、そんな単純な問題ではない。エンタメ芝居のパッケージングで、われわれが抱えるシリアスな問題を突き詰めていく。