習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『ケープタウン』

2015-07-30 19:26:27 | 映画

こういう「刑事もの」なら、この世の中にはごまんとある。だが、これが新しい点は犯罪都市ケープタウンを舞台にしたことだ。昔ならニューヨーク。せいぜいロスというパターンだった。しかし、今の切実なリアルは南アフリカにある。どうしようもない現実の中で、それでも正義を貫く刑事。アル・パチーノ主演『セルピコ』の時代から汚職刑事というのは、警察の必要悪で、どこにでもいて幅を利かせている。(はずだ) しかし、それでもこの映画はワンパターンにはならず新鮮だ。それはケープタウンという街を舞台にしたせいだろう。

ここには僕たちが知らなかった現実がある。治安の悪さをアピールしたいのではない。この世界の、ある現実を、ただ、それだけのものとして、ここで、等身大のものとして見せたかった。そういう姿勢が映画をスリリングで、リアルなものとした。そういう意味では『第9地区』も同じだ。あれはSFという意匠を纏ったが本質は変わらない。もちろん混沌とした不安や恐怖はここだけではない。どこにでも蔓延る。しかし、より的確にそれを指示できるのがこの街を舞台にした映画だったということなのだ。

どうしようもないスラムの姿を描く。貧困と差別。これもまた現実なのだ。とんでもない薬(快感を得るために人間を凶暴にする)を捌く売人。人間を狂暴にすることで、それだけで犯罪が生じる。

オーランド・ブルームとフォレスト・ウィテカー主演。彼らの抱えるそれぞれの闇。悪に立ち向かう正義、だなんて言わない。夜も寝ずに犯人を追いかける。ドラック中毒の症状と同じだ。ハイになっている。どうせ、やがては、死ぬ。(殺される)だが、真実を見たいと彼らは望む。事件の謎を解き明かしていく。背後には強大な悪がある。

こういう映画を見ながら、こんなにもドキドキさせられるのは、この映画のうまさだけではなく、(もちろん、実にうまい!)映画の描く世界の表情と、映画の描く人々の苦悩とが見事にリンクするからだ。病んでいるのは世界だけでも、主役の2人だけでもないことは明白だ。犯人を捕らえ殺したとしても、なんの解決にもならないことも周知の事実である。


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