こんな不思議な小説は滅多にないだろう。普通の青春小説のフリをしているし、ジャケットはアニメ朝のイラストだし、軽いタッチのYAタイトルだろうと思っていた。だが、タイトルになっている『私が鳥のときは』を読み終えた時、「えっ!」と思う。こんなところで終わってしまうの?と。いろんな意味で中途半端なところでいきなり幕を閉じる。まるで視聴率低下から突然打ち切りになっていくドラマみたいな感じ。理不尽な、納得し難い結末。300ページ以上ある単行本の100ページ前のところでタイトル作は終わり、抱き合わせのもう一編が始まる。しかもそちらは200ページ以上あるし。バランスがおかしい。
お話は、母が職場の同僚だったバナミさんを引き取って暮らすところから始まる。バナミには夫もいるし息子もいる主婦だが末期癌(たぶん)の患者。
受験生の蒼子(もちろん主人公。中学3年)は納得しない。彼女はバナミの息子から学校で虐められて、不登校になっている。
だがこれはバナミと蒼子の話という訳ではない。ふたりの関係がちゃんとは描かれないまま、いきなり終わる。まぁ、一応決着はつくけど。あのあっけなさに驚く。バナミの悔恨。蒼子の未来。確かにそうだけど、、、
100ページほどのこの中編の後、続いてもう一編(こちらの方が2倍くらいの長さ)『アイムアハッピー・フォーエバー』を読み始めてこれは連作であり、こちらは単独でバナミの話になる。あれで終わりじゃなかったのかと、少しほっとする。でもなんだか収まりが悪い。なかなか話が見えてこない。
『私が鳥のときは』はそれだけで独立した作品で、あれでとりあえず完結している。バナミが亡くなったところまでが描かれていた。だからこちらは後日談、あるいは続編。しかも内容はバナミの中学時代の話である。蒼子の話ではない。(まだ蒼子は生まれていないし)なぜバナミは学校をやめたのかが描かれるのか。と、思って読み始めたが、名前が同じだけどこれは全く別の話。そんなバカな、と思う。
中学1年のバナミがソフトテニス部で先輩から虐められる話。これはまたキツいな、と思ったがそうじゃない。そこから自分たちで新しいテニス部を作る話。